25年 7月30日(火)
朝 06時10分に自宅を出て、国道4号線沼宮内まで北上、そのあとは葛巻を通り、久慈街道に出て
8時50分に 久慈市に着いた。約115キロ 引越しのトラックは来ていた。
荷物が少ないため、1時間もかからずに引っ越し荷物をおろし 家の中まで運んでもらった。
すぐに 食卓テーブルを組み立て、盛岡から持参したテレビの設定を行った。
昼の あまちゃん を見なければならない。
引き続き、衣装かけを組み立てて玄関内部に設置、とりあえず キッチンを使えるようにさゆりちゃん母と作業した。
持参した 明太子おにぎり で昼食。
午後から さゆりちゃん母子と買い物に出かけた。久慈ショッピングセンターが目的地だが、なかなかたどり着かない。
「久慈ショッピングセンター直進」の看板通り進むが、久慈ショッピングセンターが見つからない。
とりあえず 久慈駅に行った。
三陸鉄道のウニ弁当はもちろん売り切れ、隣のJR久慈駅で さゆりちゃんはイチゴのジェラートを食べた。
ショッピングセンターの地図をもらって ようやく着いた。わからない看板だった。
とりあえず必要な物を取りそろえ、私だけ16時30分に久慈市を出発した。
途中 葛巻の道の駅で インゲン豆100円を買った。地方の道の駅の野菜は新鮮で安い。
盛岡自宅には19時過ぎに着いた。往復とも所要時間はほぼ同じ2時間40分だった。

212枚目 「盛岡 石川啄木」の手ぬぐい 


25年 7月29日(月)
久しぶりで 朝 雨が降っていなくてラジオ体操に行った。中津川の水量が多い。
ずっと 毎日のように盛岡は雨続き。庭の胡瓜の花に 蝶々さんが来ない。
晴れ間がないまま7月が終わってしまう。関東地方は雨が少なく、西日本は暑い日が続いているというのに。

13時22分着の新幹線はやてに 迎えに出た。
さゆりちゃんは元気に盛岡に着いた。
新幹線の中で 駅弁をひとつ おかあさんといっしょに食べてきたという。一個余った駅弁を昼食に私がいただいた。
さゆりちゃんと 庭に胡瓜を収穫にいった。大和三尺が見事に曲がっている。
さゆりちゃんは お部屋で私に 「お絵かきしよう」と言った。お絵かきは私がさゆりちゃんに前回 教えている。
水彩絵の具/梅皿/筆/筆洗い用のウィスキーグラスを用意した。
さゆりちゃんは なまえを 順序バラバラに書けるようになっていた。
私も付き合って まがった胡瓜の絵をスケッチした。
さゆりちゃんに 曲がったきゅうりで ひらがなの 「し」 と 「つ」を教えた。

大和三尺 胡瓜 


夕食は オムライスを作った。おかあさんが玉子の上にケチャップで  さ ゆ り と書いた。

211枚目 「近江國 長命寺」の手ぬぐい 



25年 7月28日(日)
29日月曜日にさゆりちゃん母子が盛岡に着く。30日火曜日に久慈市に着くよう、盛岡で1泊する予定と長男から連絡があった。
雨降でラジオ体操は行かなかった。
久しぶりで国道46号線沿いの「土日ジャンボ市」に買い物に行った。
30日火曜日の朝に 長男一家が住む久慈市の借家に引越し荷物が届くので、昼食用のおにぎり材料ほかを買い出しする。
明太子 ちりめんじゃこ イカげそなど、楽しい料理材料を買ってきた。

午後から ちりめん山椒を作った。
さゆりちゃんが泊まるお部屋の掃除をしたり、お風呂を掃除したり、迎える準備をした。


25年 7月27日(土)
土曜日と日曜日は神子田朝市の客が増える。駐車場も混んでいるが、空きは十分ある。
梅の実が安くなっているので、「白加賀」の梅2kgを朝市で買った。
朝市の向かいのお店で 赤紫蘇を3袋買った。枝から葉をもいであるものだ。
杏の「八助」と 南高梅はすでに漬けてある。白加賀を漬けるのは初めてだ。
朝市の中を一周していると面白い。2周ぐらいしないと 楽しいものを見落とす。
川魚の「やまめ」 唐揚げになって2匹入りで200円を買った。養殖ではなく天然の魚だという。
そのまま食べられる。観光地で買えば、養殖物で1匹400円はする。
朝市で天然物 1匹100円となれば、買わないわけにはいかない。
「このお魚は どのあたりで泳いでいたのですか」と聞いてみた。
○川だという。八幡平国立公園周辺の渓流だ。来週の日曜日にも行って、同じ人から買わなければならない。
いつものお店で 胡瓜 四葉を買った。このお店は顔なじみになっている。

朝市での買い物が終わってから ラジオ体操に行った。雨のせいか人が少ない。

午後から白加賀を漬けた。赤紫蘇は袋にたくさん入っていた。
1枚ずつ丁寧に洗い、塩もみして汁を数回絞り出した。全部入れたらきれいな色になった。
夕食にマカロニサラダを作った。 胡瓜四葉を薄切りにして入れた。
やまめの唐揚げがおいしかった。

210枚目 「奈良 元興寺」の手ぬぐい



25年 7月26日(金)
夜中に雷鳴と光で目が覚めた。
時計を見たら3時9分 20秒に1回ぐらいの間隔で窓が光る。その状態がずっと続いている。
起きて、他の部屋でも障子窓を開けて外が見えるようにした。
窓の方向が違っていて、雷光を直接見ることはできなかったが、光が夜の雲を照らすのがわかる。
30分ぐらい 光る空を見ていた。

このような経験は過去に2回 覚えている。
1回目は能登半島 海に面したホテルの窓から真夜中に雷光を眺めていた。
 デジカメと三脚を持っていたので、ムービーにして固定撮影した。
 翌日、映像を確認したら暗闇の中に光る画面だけ。周囲に写る何物もなかったのでつまらなくて消去した。
2回目は24年夏 新潟の笹川流れをさゆりちゃん母子と見て、新発田市から新潟市に戻る途中
高速道路走行中、新潟市方面に雷光が見える。それも絶え間なく見えるのだ。
高速道路上は雨は降ってなく、進行方向に雷光が見える。不思議な体験だった。
勤務が終わった長男と市内で待ち合わせ、寿司店に行こうと走り出したら猛烈な雨。只ならぬ雨。
このページの下のほう 24年9月8日の日記に書いていた。

明け方に雨が止み ラジオ体操に行き、家に戻って神子田朝市に行った。

209枚目 「祇園祭り」の手ぬぐい



25年 7月25日(木)

雨降でラジオ体操に行かなかった。ずっと雨続き。9月の長雨のようだ。
暇だったから 手拭いを整理した。このホームページで紹介した手拭いを、リストを作り順番にたたんで重ねた。
仕事をしていたころは、毎日手拭いをズボンのポケットに入れて、毎朝交換していた。
汚れ仕事もあるので、自然に「ふだん使う手拭い」と 「使うのがもったいない手拭い」の2種類に分けられた。
手拭いは なかなか破けないし、いつも交換しているから汚れは少ない。
エクセルでリストを作って、記憶と現品を一致させた。
90%ぐらいはリストと現品が一致する。残りの10%は 特徴がない高級品だ。
重要な手拭い 「唐招提寺」「浄瑠璃寺」「栂尾高山寺」は 2枚持っていた。
南禅寺の手拭いは 使いすぎて色褪せした。次回 京都に行ったとき補充しなければならない。

208枚目 「壷阪寺」の手ぬぐい

妻は夫をいたわりつ 夫は妻を慕いつつ
頃は六月 中の頃 夏とはいえど片田舎
「壺阪霊験記」


25年 7月23日(火)
小雨の中を 傘をさしてラジオ体操に行った。
行こうか止めようか少し迷ったが、行った。
遅れた分 渡り廊下の中がほぼ満員で、もみじの大木の下で体操した。

帰りに自宅裏庭の胡瓜を1本 初収穫した。
大和三尺 34p


ネットで種を手に入れて植えた。「大和三尺」 種取用は3尺になるという。
私の初収穫は34p 黄色になってきたので、また太くなってきたので収穫した。
35p〜40pになるという。あと1p 短かった。
曲がりやすいのが欠点だという。2本目は見事に曲がって育っている。
縦半分に切り、5o間隔に切って 自家製柴葉漬の中に入れた。

207枚目 「多武峰 談山神社」の手ぬぐい

高校生のころ 近鉄特急のCM 談山神社の紅葉が印象に残っている。
「海の国立公園 伊勢志摩へ」というキャッチフレーズだった。
海の国立公園は岩手県にもあるのに と思って羨ましかった。
岩手県の海の国立公園 陸中海岸国立公園は
平成25年5月から範囲を広げ  「三陸復興国立公園」になった。



25年 7月21日(日)
今日も雨降り。ラジオ体操はパス。
5時半に車で神子田朝市に行った。
欲しいものがたくさんあった。
1. 瓶詰のウニ 牛乳瓶2本入り 1600円
2. 実山椒(追加分)          200円
3. 胡瓜 四葉             100円
4. ふき                 100円
5. ちりめん 3袋で         1000円
あとは長ネギほか

帰って朝食後に ちりめん山椒を作った。初めて作ったら見事に失敗した。
実山椒を生でたくさん入れたら 苦くて辛みがあって食べられない。
しかたなく ちりめんの中から 山椒を1粒ずつ 細い箸で取り分けた。たくさんあり2時間近くかかった。
暇な私だからできる。ちりめんだけ 大きなフライパンに入れて弱火で水分を飛ばした。
香りがいい。食べてみたら 辛みは抜けて山椒の香りだけ残って さわやかな「ちりめん山椒」ができあがった。
京都のお店で買うと5000円分ぐらいある。 ちりめんは225グラム使った。
残った山椒の実は、鍋で弱火で加熱した。4つに分けて冷凍した。
次回、この冷凍山椒で またちりめん山椒を作ってみる。

もう一品 赤紫蘇の葉に塩を入れて 揉んで搾ったかたまりがある。
なすを細切りにして 柴葉漬を仕込んだ。

参議院議員選挙速報をずっと見ていた。

206枚目 「あじさい」の手ぬぐい



25年 7月20日()
また朝から雨降りだったので、車でラジオ体操に行った。
公園近くにアーケードの商店街があり、商店街の駐車場は30分以内無料である。
6時25分に駐車場に入れ、傘をさして公園へ。木の下で雨に当たらないよう体操をして駐車場に戻る。
早朝だから駐車場は空いている。入れてから出るまでは約25分。

そのまま神子田朝市に行った。寺院群地区を走行しているとき、T字路の下り坂を 
自転車が止まらないで右折してきた。直進中の私の車との距離は約30m
一瞬ヒヤリとした。もっと進行していたら接触していたかもしれない。
一時停止しないで、坂道を下りながら右左折する自転車はこわい。
私は速度を守り前方を注視して運転している。久しぶりで ヒヤリ・ハットを体験した。
新潟に住んでいた10年間に2回 自転車と接触しそうになった。
1回目は おばさん 狭い道から一時停止などしないでそのまま車線に飛び出してきた。
2回目は小学生 住宅街で細い横道から飛び出してきた。子供たちが集まって遊んでいたので警戒していた。
このときは「運転手が私でなかったら ぶつかっているぞ」と怒鳴ってしまった。

朝市で「山椒の実」を買ってきた。「ちりめん山椒」を作る。初めて作る。

205枚目 「大和 久米寺」のミニタオル

奈良県橿原市


25年 7月19日()
雨が降っていなかったのでラジオ体操に行った。
連日の雨で 盛岡城址公園の紫陽花が美しい。
体操が終わってから、池のほとりの紫陽花を撮影した。すこし風があり花が揺れる。
風が止むのを待ちながらカメラを構えた。













204枚目 「あじさい」の手ぬぐい


近くのスーパーマーケットのちらしで するめイカが安かった。
小さ目のイカだったが3杯買い、皮をむいて塩辛を仕込んだ。
午後から仙台に住む妹が、遠野に行く途中顔を出した。
震度3の地震があった。


25年 7月18日()
夜中 起きだしてフジテレビ系 「銀の匙 Sliver Spoon」を見た。第一回の放送である。
川越の我が家に このコミックが置いてあり、私もすっかりはまっている。
我が家の子供たちが高校生だった頃、学園物のコミックを買い始め、みんなで見るようになった。
「ウッドノート」 「究極超人あーる」 「動物のお医者さん」 ほか コミックがたくさん揃っている。
「銀の匙」は 農業高校の物語 場所は帯広市
札幌の中学校を終わったサラリーマン家庭の男子生徒が、寮があるこの高校に一般入試で入学する。
同級生の多くは、酪農や養鶏、農家の推薦入学組。
この同級生たちが男女とも諸芸に優れていて(学業は別として)、特に女子生徒たちが多方面に活躍する。
眼鏡をかけた ひよわな主人公の少年は 我が家の三男に どことなく顔が似ているのだ。
(三男は 似ている芸能人が多いのが 悩みの種だと言っている)
これまでに7巻が発売されている。私のノートパソコンの壁紙は 銀の匙の 白樺林の絵である。
第8巻が待ち遠しい。

大雨でラジオ体操には行かなかった。
夕方から雨が上がったので、端かがりを頼んでいた洋服店に引き取りに行った。
手ぬぐいの色に合わせて、糸の色を変えてくれた。良い仕事をしていただいた。



25年 7月17日(
)
ニュースでは関東から西日本で暑い日が続いていると報道される。
盛岡市は暑くない。毎日の雨続きで太陽がでない。陽が照らないのだ。
市の中心部を流れる北上川支流 中津川の水量が多い。ふだんは川の底が見える。

左岸がラジオ体操をしている盛岡城址公園


水没した草むらで 水鳥が餌を探している


水量が多い 陽が照らない どんよりとした大気

生まれて初めて 「架空のもの」を撮影することができた



寺院のノウゼンカズラも陽が欲しそうな色だ


花はたくさん咲いているが 色が薄く感じる


寺院の石垣に 梅の実が落ちていた
昨日、歩いているとき目の前に一つ落ちてきたので拾い、
よく洗ってから 漬けこみ中の梅漬けの中に加えた

今年は盛岡に引越ししたばかりであり、年賀状の整理をしていなかった。
お年玉くじの当選番号を調べた。1枚だけ切手が当たっていた。

203枚目 「花模様」の手ぬぐい

京都 八瀬 瑠璃光院を訪ねたとき 色が気に入って買った


25年 7月15日(
) 海の日
海の日だが、長男は岩手県北地方都市で勤務するため、東北新幹線はやぶさで盛岡駅に着いた。迎えに出た。
朝ご飯になっても、お昼ご飯になってもいいように、お握りを作り、竹の皮に包んで
おかずとともに用意をしておいた。
この先長男が使う道具を、私が川越自宅から盛岡に移動している。
仕事柄 短期の転勤を繰り返すので、必要なものは盛岡自宅にあるものも準備している。
我が家に顔を出し、朝食を一緒に食べてから勤務地に向かった。
夏休みになってから、娘とおかあさんも盛岡に来る。
私は孫娘が収穫できるよう、裏庭に胡瓜ほかを栽培している。

202枚目 「銘酒 八重桜」の手ぬぐい 八重の桜ではない

岩手県 岩泉町


25年 7月14日(日)
ラジオ体操に行き、自宅に戻ってから車で神子田朝市に行った。
日曜日の朝市は混んでいる。
最近 テレビ全国版でも神子田朝市が紹介され、盛岡駅前のホテルからタクシーで来る人を見かける。
小さな玉ねぎと生姜を買ってきた。

夕方5時からの宴会に合わせて朝市から帰ってすぐに料理を始めた。
6月末で仕事から解放された高校同級生の、慰労会という名目の宴会だ。
冷蔵庫の扉に この日のお品書きを貼ってある。

○印は台湾料理風 風というのは 私の手作りだから

 ○ 烏龍煮玉子
 ○ 胡瓜ピリ辛漬け
 ○ 小籠包(冷凍食品)+生姜千切り
 鶏唐揚げ 長崎新地風
 エビマヨネーズ 自家製イタリアンパセリ
 ほたてバター炒め
七 わらび煮物 油揚げ
八 四葉胡瓜+新潟産手作り味噌
九 奈良漬け
十 ○ 魯肉飯

1の烏龍煮玉子は台湾日月潭 廟の門前料理店の味を参考にして シャトルシェフで5日間かけた
2の胡瓜料理は 台湾でよく食べたビールのお供 3日目に食べた酢漬け風漬物
3.は 冷凍食品 そのまま 小籠包を私は作れない
4は 我が家の得意料理
5は 玉子白身を泡立ててエビむき身を揚げたもの + 簡易オーロラソース
6は ホタテのバターしょうゆ味炒め
7は 朝市で買ったワラビの煮もの  (季節柄 すぐなくなった)
8は 四葉胡瓜に 新潟県今板温泉湯本館で 泊りがけで作った手作り味噌
9は 奈良長谷寺門前で買った私のお土産品
10は 台湾で食べた 煮豚肉かけご飯

夕方5時 宴会開始 高校の同級生+後輩
場所は 一日一組のレストラン我が家本店
A君には 本物のビール 500ml 6本
B君には ウィスキー 
C君には 日本酒
料理は私と あらかじめ分担をお願いしておいた。
B君は 焼酎「魔王」の一升瓶を持ってきた。
うますぎて、飲みすぎた。


25年 7月13日(土)
5時20分ごろ、車で神子田朝市に行ってきた。
明日14日は来客がある。その材料を揃えに朝市に行った。
胡瓜 四葉(スーヨー)
煮わらび ほか
赤紫蘇も欲しかったが、ここのところの天候不良(晴天がない 太陽が出ていない)で、
赤みが足りない。晴れるまで待つことにした。

雨降りでラジオ体操には行かなかった。
午前中に近くのスーパーマーケットで、他の材料を揃えた。
ほたて えび ほか。
14日の料理は5日前の10日から仕込みを始めている。

201枚目 「尚古集成館」の手ぬぐい

島津斉彬公 鷹図屏風


25年 7月10日(水)
傘をさしてラジオ体操に行った。熱心な人が30人ぐらい集まっていた。
渡り廊下のような、雨にあたらない所で体操をした。

新潟市の第四銀行に電話して、通帳解約の手続きを問い合わせた。
第四銀行口座からの引き落としは、盛岡に引越ししてから、一つづつ口座変更手続きを行い、
合わせて住所/電話番号の変更も行っておりほぼ片付いた。
盛岡市から最も近い第四銀行の支店は会津若松である。ガソリンは約800キロ分かかる。
埼玉県にも支店があるが、電車代が往復1000円程度かかる。
盛岡の銀行からの手続きは、「解約取り立て」となり、手数料は630円〜840円かかるという。
キャッシュカードでぎりぎりおろし、あとはそのままにしておく方法が最も費用が少ない。
いつか、いつものラーメン屋さんに行ったり、亀田製菓の直営売店に行く機会があるはずだ。
八戸市から新潟市に引越ししたときは、盛岡市にみちのく銀行の支店があったので解約は楽だった。

200枚目 「関山 中尊寺」の手ぬぐい



25年 7月 9日(火)
朝から大雨で ラジオ体操に行かなかった。
西日本は暑いと報道されているのに、盛岡は寒いぐらいだ。

午後から雨が止んだので、近くの商店街に傘を持って出かけた。
手拭いが溜まっている。
新潟に住んでいたとき、近くの洋服屋さんに手拭いの「端かがり」をお願いしていた。
近所のクリーニング屋さんに「手拭いの端をかがってくれる人を探している」と話し、紹介してもらった。
私が盛岡に移るときに、ちゃんとお礼の品を持って「お世話になりました」とあいさつをしてきた。
それから9か月経ち、その間に手拭いが溜り、代わりのお店を探していた。
「このお店なら引き受けてくれるだろう」と 手拭いを14枚持っていき、お願いしてみた。
快く 引き受けてくれた。端かがりに使う糸の色まで心配してくれた。
「全部 白糸でいいですよ」と お願いしてきた。
手拭いの写真は事前に撮ってある。

199枚目 「日本百景 げいび渓舟下り」の手ぬぐい



25年 7月 8日(月)
ラジオ体操で盛岡城址公園に行ったら、中津川原の花がきれいだった。
花を撮っていたらラジオ体操が始まった。いそいで広場に行った。

ムラサキツメクサ

体操が終わってから他の花も撮影した。

ナツツバキ 娑羅樹






中津川原 フラワーバスケットもきれいだ


これは庭のアジサイ

所用があり、市内循環バス 「でんでんむし」に乗り、盛岡駅方面に行こうとして
繁華街のバス停でバスを待っていた。
珍しく携帯電話が震えている。めったに掛かってこないが、外出時は胸のポケットに入れている。
次男からで、お役所関係へ届ける書類のことだった。
開店待ちのデパート入り口の静寂なところで電話している間に でんでんむし は発車した。
15分も待てば来るのだが、目的地まで歩いた。100円分 もうけたような。

蒸し暑いなか 歩いたので 大通りにある 御田屋清水で水を飲んだ。



天然のミネラルウォーター 冷たい
バス代と合わせて 200円 もうけたような。

198枚目 「高村山荘」の手ぬぐい



25年 7月 7日(日)
午後から一関市に住む甥夫婦が娘を連れて寄ってくれた。
娘は髪をかわいく結んでいる。かわいい。
おかあさんに相談して、ロッテアイスクリーム 爽 を家族3人で食べてもらった。
帰りに、庭で「スパゲティのお供野菜」を刈り、一関まで持たせた。


イタリアンパセリ 

イタリアンパセリを摘んだら、私もスパゲティを食べたくなった。
あまちゃん で良くでてくる ナポリタンを作った。大盛りになった。
ナポリタンに イタリアンパセリを刻んで振りかけた。

197枚目 「高村光太郎」の手ぬぐい

花巻市 高村山荘に行ったとき買った。


25年 7月 6日(土)
神子田の朝市に行って 八助 を買ってきた。八助は杏である。
八戸に住んでいたころ 八助を梅漬け風に漬けたものをよく買っていた。
おみやげにしていた。
熟した八助を 半分に割って漬物にする準備をした。

大きな杏 八助


半分に割って


塩を振る

15時から盛岡市内のホテルで 出身校の同窓会が開催された。私は初参加である。
自己紹介で 約45年ぶりで盛岡に戻ってきた旨 話した。
昭和43年に高校を卒業してから盛岡を離れた。もちろん夏や冬には戻っているが
埼玉県に住居を構えて、八戸市と新潟市に住み、24年10月から盛岡市民に復帰した。

同窓会の参加者は多くなく、とても楽しい同窓会だった。もちろん私にとって会う人全員が初対面である。
私は名刺を持っていない。名刺なしで人に会うのは 初めての経験であった。

同窓会が終わって、幹事ご夫妻から
「初参加の人にプレゼントしています」と紙包みを渡された。持った瞬間 ピン と来た。
手拭いだった。すぐにその場で広げてみた。

196枚目 「星めぐりの歌」の手ぬぐい

あまちゃん のBGMとしても使われている。 作詞作曲は宮沢賢治

この歌には特別な思い出がある。中学校の担任教師が土井晩翠賞を受けた詩人だった。
授業中に 宮沢賢治の詩をよく朗読してくれた。
その担任教師が 星めぐりの歌を歌ってくれたのだ。
「オリオンは高く うたい つゆと しもとを おとす」のところは良く覚えている。

とても楽しくて 二次会にも参加した。カラオケで なつかしいその土地の曲を歌った。
私は体育会にいたので、合宿で後輩に歌を教えていた。多くの歌を記憶している。

また宮沢賢治の詩にもどる。
「種山ヶ原の、雲の中で刈った草は、 どごさが置いだが、忘れだ 雨ぁふる」
この歌も先生が歌ってくれて、頭の中に残っている。半世紀前の記憶だ。
この夏 種山高原に行って 又三郎の像の写真を取り直さなければならない。


25年 7月 5日(金)
ラジオ体操に行ったとき 盛岡城址公園の芝生に シロツメ草がたくさん咲いていた。
思わずカメラを向けた。


帰り道 「寺の下寺院群地区」の千手院のお庭に ザクロが咲いていた。
私の日記 6月3日に 東大寺二月堂の柘榴の写真を載せている。
盛岡は奈良よりも1ヶ月ほど遅い。


195枚目 「奈良公園」の手ぬぐい



25年 7月 1日(月)
川越自宅で次男のスパゲティをいただく。
盛岡神子田朝市で買って持って行った ウニ(牛乳瓶入り)のスパゲティと
盛岡の庭で育てたイタリアンパセリ入りのペペロンチーノ。
妻には九分で買った 頼まれていた財布を渡した。長い間使っていたので持つところが壊れていたそうだ。
おみやげを振り分けた。


長男用 台湾鉄道 ステンレス製弁当容器
短期の単身赴任が多い仕事なので 弁当を作るという。たくさん入る。
飯盒のような弁当容器 ケース付きで200元 約650円


次男用 台南市の合成帆布店を訪ねて買ったもの
旅行期間中はカメラを入れて使っていた。
150元 約500円


三男用 総統府見学記念の手提げカバン 150元
+ 八田與一アニメ バッテンライ 石川県北國新聞社が制作した 虫プロ作品の中国語版

夕食後19時に川越自宅を出て、一般道を走り盛岡に向かった。


25年 6月30日(日)
前日中に買い物と観光はすべて済んでおり、
SOGOデパートで買ったパイナップルとマンゴー(どちらもカット品)を食べながら
持参のコーヒー(ゴールドブレンド パック品) を飲みながら パソコンで旅行日記を書いた。
早めに地下鉄で台北市内の松山空港に向かった。

地下鉄の車両に乗ると、目の前の席に、5日前に台北松山機場駅で、鉄道カード(悠遊カード)の
チャージ方法を教えてくれた韓国人旅行者が座っている。5日前と同じかっこうだった。

悠遊カード 左が2013年版     右は2011年版


この悠遊カードは 外国人観光客向け用の特製版
台湾観光協会ウェルカムプレゼント品

ひざをつんつんして、こちらを向いた男性に悠遊カードを取り出し 「先日はありがとうございました」とお礼した。
向こうさんもすぐに私に気が付いた。同じ日に帰国するようだ。不思議な体験だった。

松山空港で 残っている地下鉄の悠遊カードと財布のコインを使い、小さなおみやげを買って出国手続きをする。
ボーイング787機内では ダイ・ハードの最新版を見た。飛行機は満員だった。
昼過ぎの便なので 離陸後すぐに機内食が配られる。
定時前に 羽田空港に到着した。


25年 6月29日(土)
まず、今晩宿泊する台北市内のホテルに旅行カバンを預けに行った。
フロントで予約してあるプリントを提示し、パスポートを出して荷物保管を依頼した。日本語で。
過去に宿泊した台北市内のホテルでは、フロントに日本語が分かる人がいる。
このホテルでも日本語で通じた。もし通じなければ簡単な英語で通じる用件だ。
荷物を預けて 目の前の地下鉄MRT駅から 中正紀念堂に向かう。
「中正」とは蒋介石の本名であり、蒋介石総統の業績を顕彰した建物である。
中正紀念堂の建物は巨大すぎて、撮らなかった。

中正紀念堂 門

隣接して国家戯劇院のきれいな建物があり、そこのミュージアムショップを初めて見た。
音楽関係の記念品が多い。
中正紀念堂をしっかりと見学した。
広大な敷地は日本統治時代の軍用地跡地であったという。
レストランやおみやげ店もあり、結構な数の観光客がいた。
のどが渇いたのでマンゴーのアイスクリームを食べた。

中正紀念堂を出て、同じ地下鉄駅から近い鼎泰豊 ディン タイ フォン の本店に行く。
近いのだが場所をよく知らないのでタクシーで行った。
台湾のタクシーは安い。70元 日本円にして約230円
鼎泰豊は小籠包で世界的に有名なレストラン、東京にも支店がある。
台北市内の他の支店には2回行っているが、本店に行くのは初めてだ。


入り方が分からないぐらい混んでいる。

入り口に近づくとお店の係りの人がいて、小さなバインダ付き注文書をもらう。
この辺りの手続きは、他のお店で経験している。
椅子に座って注文書に記入していると
「合い席でよければ すぐご案内できます」と日本語で聞いてくれる。
私は一目で日本人と分かるようだ。良かった。
お店のお姉さんに注文書をチェックされる。
「小籠包+餃子2種+台湾ビール」
お姉さん曰く 「量が多い。小籠包(1セイロ10個入り)は1つでいいが、餃子は5個入りのハーフにしなさい」とのこと
私は「鼎泰豊の小籠包と餃子を食べにわざわざ日本から来たのに」という顔をしながら お姉さんの指示に従う。
「3階のテーブル席に行くように」と案内された。


包み方が美しい。襞の数が他のお店より多い。


韮餃子

ホテル近くのデパート 太平洋SOGOに寄り、烏龍茶ほかをおみやげに買った。
今回の旅は、おみやげ屋さんには立ち寄っていない。
(パック旅行では おみやげ屋さん立ち寄り 買い物が多い)
初めから デパート地下の食品売り場で買い物する予定を立てていた。
烏龍茶と鉄観音茶を買った。

夕食は ホテル近くの 大戸屋に行った。
近くに入りたい台湾料理屋さんが無かったこと、大戸屋が近すぎたことが理由だ。
とんかつ定食+ビールを頼んだ。
とんかつ定食は日本と全く同じ 280元 約900円
台湾瓶ビール 100元 320円 サービス料10% が加算される。
台湾では大戸屋は「日本料理店」であり、台湾の若い人たちで満員だった。


25年 6月28日(金)
早朝に 朝食を食べずに台南市のホテルを出発、新幹線で台北駅へ。
また地下のロッカーに荷物を預け、総統府を見学した。


金曜日は馬総統が執務しているとのことで、総統府の中に入るのは警備体制がしっかりしている。
日本語のガイドが付いて、40分ほど 日本統治時代を中心に説明を受けた。

昼前から故宮博物院を見学した。お昼時に行ったので 団体観光客が少なく、ゆっくり見学できた。
書の展示室近くにある売店で、「王羲之墨蹟」を買った。私用ではなく友人の書家へのプレゼントだ。
夕方 依頼していたチャータータクシーで基隆と九分に出かけた。



九分夜景


基隆廟口夜市 焼き餃子


夜市の屋台 牡蠣のオムレツ


25年 6月27日(木)
台南市のホテルからチャータータクシーを依頼している。
今回の目的地 烏山頭ダムに行く。
午前中は台南市街、台南の古都を観光した。

南国の真っ赤な花がきれいだ。葉っぱは合歓の木と同じかっこうをしている。


タクシーの運転手に筆談で花の名を聞いた。 「鳳凰花」


旅の目的地 八田與一記念公園
八田與一は石川県出身の土木技師 台湾に当時世界最大の烏山頭ダムを作った人。
それまでは水が無く、不毛の大地だった嘉南平野に巨大ダムを建設し、大穀倉地帯に変えた。
台湾で最も尊敬されている日本人。


記念公園に再現された八田與一住居


八田與一銅像と 後方は八田夫妻の墓地
お墓詣りをしてきた。


ダム建設に活躍した蒸気機関車 小さい


烏山頭ダム 堰堤


烏山頭ダム 放水路


25年 6月26日(水)
台湾旅行の初日 羽田空港からの離発着で 台湾は台北市内にある松山空港
羽田空港からANA
6月1日からリチウムイオンバッテリーを改良して再就航したボーイング787機


台北 松山空港に着き、地下鉄(MRT)松山機場駅から乗る。空港バスではなく地下鉄だ。
地下鉄で使用する スイカやイコカのような鉄道カードを台湾観光協会から入手していた。
実際に使うのは初めてだ。地下鉄切符売り場で カードのチャージ方法が分からない。
日本の駅では切符を買う機械とチャージする機械は同一のことが多い。
台北地下鉄では切符販売機に チャージに該当する言葉がない。

聞く人もいなくて困っていると、アジア人観光客がチャージする方法を台湾の人に聞いている。
台湾の人が 別の場所にあるチャージ専用機に連れていき、チャージ方法を教えている。
私もそのあとに付いていき、チャージ方法を見ていた。
アジア人がチャージした。私も会釈してアジア人から教わった。
チャージしてお礼すると「コリアン」と言っていた。

地下鉄MRTで台北駅に行き、荷物を預けた。

台北駅地下のコインロッカー 鍵がない
預け方 出し方がなかなか分からなかった。
出すときのコインロッカーの場所を忘れないよう、デジカメに撮った。

午後から新幹線で台南駅へ。今回の旅は台南主体だ。
台湾料理店で夕食


「度小月」という台湾料理店 安い料理店だ。

担仔麺


蝦捲


蠣の天ぷら


筍サラダ

度小月近くの 帆布店に行く 午後10時まで営業している

小さ目の帆布カバンを買った。


25年 6月25日(火)
川越でもラジオ体操に行く。
盛岡では自宅から盛岡城址公園まで早足で13分
川越では自宅近くの 御伊勢塚公園まで5分ぐらい。川越のほうが近い。
途中 水鳥の郷公園には 蓮の花がたくさん咲いていた。






池の両側で 体操をしている 我々は池の手前の並木道でラジオ体操


向こう側は芝生の広場でラジオ体操


小川のほとりは こあぜの小径

お昼ご飯は 調べていた埼玉県鳩山町 今宿交差点すぐの「四海居」 台湾料理の看板だ。


定食スープ付き600円のスープを +80円でラーメンにチェンジすることができる。


ラーメン付き定食 680円


妻はエビマヨ定食 600円 私はラーメンも食べたので 鶏肉を残してしまった。
次回 再チャレンジしたい。
お店は 工事関係の人たちで混んでいたが、駐車場もたくさんあった。


25年 6月24日(月)
前日の日曜日は午後から親戚の式年祭があり、直会でビールをいただいた。
「翌朝 未明に出発するので」と明るいうちに送ってもらった。
02時 盛岡南ICから東北自動車道に乗り、川越自宅に向かう。
23日午後8時過ぎ 「スーパームーン」 (月が地球に最も接近する時と満月が重なる現象)が見えるとの報道。
満月が前日から明るく見えていた。
24日 宮城県北部のパーキングエリアで スーパームーンを撮影した。


暗かったが

見る見るうちに空が明け始める


高速道路を西那須野塩原で降り、国道4号線に入った。
深夜割引で3850円だった。
ちなみに 高速道路盛岡南 〜 岩槻 494.6kmの通常料金は10100円である。

川越市内に入り、いつも通る道でお腹が空いてきて 半田屋に入った。

かつ丼 350円 豚肉が厚くてうまかった。350円はお得だった。
10時半ごろ 自宅に着いた。


25年 6月21日(金)
郵便局に盛岡市民税の支払手続きに行ったら、「郵便局では市民税の取り扱いはできない」とのこと。
なぜ郵便局で手続きができないのか不思議に思い、近くの銀行に行って支払手続きをした。
市民税の支払は初めてである。
第1期の納期限は  7月1日
第2期 納期限    9月2日
第3期 納期限   10月31日
第4期 納期限 26年1月31日
第1期から第3期までの期間は4ヶ月しかない。短くでおどろいた。

ラジオ体操の帰り道

盛岡城址公園 フラワーバスケット


毘沙門橋から中津川

暖かくなり庭の植物が伸びている。

ノウゼンカズラ もうすぐフェンスに届く


イタリアンパセリ


パラマウントパセリ

194枚目 「修禅寺」の手ぬぐい



25年 6月17日(月)
パソコンが変わって、わからないところだらけ。前になかなか進めないでいる。
ホームページビルダーが急につながらなくなったり、古いファイルの保管場所が不明になったり。
少しづつマスターするしかないと、じっくり焦らず片づけている。私は無職だ。時間はたくさんある。

ラジオ体操に通っている盛岡城址公園の薔薇園が、遠くから美しい。
午後からカメラを持って出かけた。













25年 6月14日(金)
川越に住む家族から電話があった。今度川越に来るとき スパゲティを買ってきてほしいとのこと。
来週24日早朝に 川越に行くことになっている。
「Buitoniのリングイネ カペリーニ スパゲティーニ 500g入りを 各○個」
調理師免許を持つ次男(料理関係の仕事ではない)が、スパゲティの達人で いつも作ってくれる。
盛岡駅地下街の輸入食品専門店でブイトーニのスパゲティが各種揃っていて、妻は新幹線に乗るとき
必ず買って帰る。次男はこのメーカーが好きだ。
車を駅駐車場(1 時間 100円)に入れ、スパゲティほかを買って、盛岡駅東口から西口に、自由通路で抜ける。
2階中央コンコースで岩泉町の物産展をしていた。岩泉町の「龍泉洞珈琲」がおいしく、八戸にいたころ買っていた。
テーブルに龍泉洞珈琲がたくさん積んであった。値段が付いていない。
「この珈琲は おいくらでしょうか?」 「何か買われた方にプレゼントしています」
テーブルのうえに きれいな女性用財布があり、気になっていた。川魚の甘露煮パックも比較的安い。
財布 1000円 やまめ甘露煮 380円を買い 龍泉洞珈琲をいただいてきた。


うれら織りのさいふ うれらは 龍泉洞の上の 宇霊羅山と思われる


左が 山ぶどう染織 右が龍泉洞珈琲

西口駐車場に戻り盛岡駅を見たら、不思議な列車がいた。

絵が描かれている。わんこ兄弟だ。これ以上近づけない。


ズームで わんこ兄弟
よくよく観察すれば パンタグラフがない → 電車ではなくディーゼルカー
正面から列車名を写したいところだが。
JR東日本のホームページで調べた。 「Kenji」という ジョイフルトレインだった。
ジョイフルトレインの写真をUPするのは3回目
新潟駅でさゆりちゃんと乗った「SLばんえつ物語号」 笹川ながれで撮影した「きらきらうえつ」

午後からプランターの手入れをした。

五加木 気温が上がり ようやく脇芽が伸びてきた


濃い青と 濃い赤の 日本の朝顔


ヘブンリーブルー
しばらく雨が降っていない。恵みの雨がほしい。


25年 6月13日(木)
6月10日 朝 いつものとおりラジオ体操のため、盛岡城址公園に行った。(車を近くの駐車場に入れて)
ラジオ体操は 二人の人が交代で大きめのラジカセをリュックに詰め、持ってきてラジオをかけてくれる。
そのラジカセを置くベンチに 青年が寝ていた形跡があり、ラジカセはベンチ手前に置かれていた。
青年の大きなリュックには 東京日本橋324 
日本一周 と書かれた札が下がっている。
青年も我々年配者と一緒に体操をした。 ラジオ体操が終わったあと 話しかけた。
「すみません 私のホームページに写真 載せたいので1枚 写させてください」
青年 「いいですよ。私もブログ やっていますので。 ベーすけ。 と言います。」


べーすけ。氏 2013年 6月10日 06::40

多くのラジオ体操参加者が話しかけた。「元気で 頑張って けがしないように」
ベーすけさんは明るくなったら周囲に人が多く集まっていたので、びっくりしたことだろう。
そのあと 私もべーすけさんのブログを追いかけている。盛岡から宮古に回るという。

10時前に 岩手県立美術館に行った。
駐車場には空きがたくさんあったが、館内にはけっこうな観覧者がいた。
東北新幹線で盛岡駅へ 盛岡駅からタクシーだと思う。タクシーが並んでいた。



このような展覧会が岩手県立美術館で開催されることに感謝しながら
ゆっくり鑑賞してきた。ありがたい。
NHK日曜美術館で特集していた。

昨年からたくさんの美術品を見る機会があった。
新潟県立万代島美術館  巨匠たちの英国水彩画展
大阪市立美術館      ボストン美術館 日本美術の至宝展
三菱一号館美術館     奇跡のクラーク・コレクション
上原近代美術館      日本画家たちの美の饗宴
興福寺国宝特別公開2013 南円堂創建1200年記念 南円堂・北円堂同時公開
岩手県立美術館 プライスコレクション 江戸絵画の美と生命

このほかに お寺 京都御所 奈良国立博物館なら仏像館 運慶/快慶作の仏像ほか
月末には台北故宮博物院を二日間見る予定だ。


25年 6月10日(月)
早朝からお握り+玉子焼きを作った。竹の皮に包んだ。
岩手公園でのラジオ体操終了後 そのまま車で久慈市に向かった。
盛岡から国道4号線 岩手町 葛巻 平庭高原 久慈渓流 久慈市のルート
長男が この夏に久慈市で勤務する宿舎を探しに、不動産屋さんを訪ねて 状況を聞く仕事だ。
このルートは盛岡市からの最短コース、八戸からの帰りにも使ったことがある。
特に春や秋は走ってたのしい道だ。


道の駅 くずまき高原 朝食のおにぎりを食べた


道の駅 くずまき高原の広場


平庭高原 白樺林


道の駅 白樺の村やまがた
食堂は11時から まだ10時前


三陸鉄道 久慈駅


三陸鉄道 久慈駅 お弁当屋さん 10時20分ごろ
いなり寿司 2つ 200円を買った。

192枚目 「あまちゃん」の手ぬぐい

三陸鉄道 売店で 600円  盛岡市紺屋町 巴染工製

続けて 193枚目 「三陸鉄道 鉄道むすめ」の手ぬぐい

2005年 手持ち品

帰り道 久慈渓流で水を飲んだ

鏡岩から入る


不老泉 冷たい 子供たちも昔 ここで水を飲んでいる


奥の岩が 鏡岩

葛巻のワイン工場により休憩した。高原の初夏はさわやかだ。
15時30分 自宅に着いた。


25年 6月 9日(日)
ラジオ体操のあと 神子田朝市に行き ごぼう わらび 稲庭うどんほかを買ってきた。
ごぼうは天ぷらにして うどんに入れて食べる。
テレビで見た福岡市のうどんがおいしそうだった。

サライから荷物が届いた。当選した記念品が入っていた。図書券だった。


25年 6月 8日(土)
ヤマダ電機に行き、無線LANの子機を買った。旅行用小型ノートPCにセットして
ソフトバンクの光回線用モデムと調整した。うまくいった。840円で済んだ。
私の新デスクトップPCには無線LANは付いていない。有線接続だ。

お昼は 近くの元料亭に行った。本日は特別公開日でお庭を見た。


関西旅行と同じように「ハンバーグ」カレーをいただいた。
きれいなお庭を見ながら食べた。



25年 6月 7日(金)
パソコンを今までISDN回線で使っていたが、XPがサポート停止になるとのことで
ヤマダ電機に行き、思い切って新品のウィンドウズ8を入れることとした。
XPをウィンドウズ7に替えようとOSソフトだけの値段を聞いたら17000円とのこと。止めた。
NEC VALUESTARの新品を買い、光回線にしてキャッシュバック手続きをしたほうが、OSソフトだけ買うよりも安くなる。
9時にNTTの電話会社が来て、光回線に替えた。
パソコン変更と回線変更により、パソコン設定ほか苦労している。
長男にサポートを頼み、なんとか切り抜けそうだ。
ウィンドウズ8は私にとって使いにくい。メニューが走り出しても止め方がわからない。
画面に シャットダウン 終了マークが出てこない。
インターネットエクスプローラーに お気に入りが出てこない ほか 使いにくい。
ホームページビルダー や 蔵衛門が動かなかったり切れたりした。
毎日 一つづつ解決している。まだ未解決がたくさん残っている。
困っていること
@ デジカメデータが多すぎて、ハードディスクの残りが少なくなる 解決方法 大きな画像設定をやめてMサイズにした。
  それでも1枚当たりのファイルサイズが大きい。
A デジカメデータをDVDに焼くのが 時間がかかり 他のPCで読み込みできなくなる。

午後から歯医者に行った。前回型を取ったところを被せた。
6月下旬に台湾に行くので 歯医者通いはいったん中断することにした。


25年 6月 6日(木)
3時半に目が覚め 帰り支度を始めた。
湯を沸かしてゴールドブレンドのパックコーヒーを飲む。
パソコンでニュースなどを見て、カップラーメン+お握りを食べる。
ホテルのすぐ前は幸いにスーパーマーケットだったので前日に買っておいた。
5時 ホテル出発 定時になっても下りてこない客があり、フロント氏は他の客に頭を下げる。
5分経過してから二人が慌てて降りてきた。
05:25 関西空港第2ターミナル(ピーチ専用のターミナル)着
6時半から受け付け開始 ロビーで資料を整理していた。

飛行機の中で一眠り 08:55 仙台空港着
すぐ旅のりパーキングに電話して 迎えに来てもらう。女性の運転手だった。

帰りは国道4号線 北上市の4号線沿い 「台湾ラーメン」大盛りでも280円という看板を今まで見ていたので入った。
大盛りを頼んだ。


台湾に9回行っているが実は台湾でラーメンを食べたことはない。
味については次回 機会があれば。大盛り280円は安かった。
盛岡自宅に15時に着いた。


25年 6月 5日(水)
今回の旅は雨にあたらない。暑くない。思い切って「山の辺の道」を歩いた。
山の辺の道は 日本最古の道と伝えられている。
桜井市の金谷から天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)まで約11キロ
三輪山から龍王山の山麓、山と丘の境目を縫うように歩く。
3回ほど 道に迷った。
近鉄桜井駅にあったA4判「山の辺の道コース」の「てくてくまっぷ」を頼りに歩き出す。
要所要所に道しるべがあり、迷うことはないはずだが、道しるべが無いところがある。
私の注意不足もあるが、T字路を右に行くのか左に行くのか不明な場所がある。
平日なので歩行者は数えるほど。土日なら人に付いて歩けばいいのだが。


近鉄 桜井駅


桜井駅近くで


海拓榴市(つばいち と読む) 近く


市街地には看板があるが。山道には無い。

途中 大神神社で三輪山を拝む


この道は分かりやすい

途中 桧原神社前の茶店でビール休憩 スーパードライ 350円 + 自家製蕗の佃煮 100円


山の辺の道は 左矢印へ


右側が山 左に天理市方向が開ける


石上神宮 この楼門は重要文化財


石上神宮 拝殿 国宝


途中 桑の実がたくさんなっている木があった たくさんなっていた。


途中 食べ物屋さんはない。石上神宮近くの園原町でようやく見つけた。
天理観光農園 Cafe わわ ハンバーグランチ 800円
喉が渇いていた。水差しを持ってきて テーブルに置いてくれた。
今回はハンバーグを食べる機会が多かった。
さて、道に迷った理由は次のとおり
@ T字路で 狭い道を選ばず、広い(舗装していた)ほうに進んだ  × 山の辺の道は とにかく狭い。畳幅程度
A 細い竹藪の道を避けて、広いほうの道に進んだ          × 昔からの道は暗くて狭いのが当たり前
B 民家など建造物のほうへ進んだ                    × 不便な狭いほうの道が 昔からの道

歩き疲れて早めに泉佐野市 関西空港近くのホテルに入った。明日の飛行機は早い。
ホテルから関西空港行きの無料バスがあるという。
仙台空港行き 07:25に乗るためのホテルの送迎バスは5時出発


25年 6月 4日(火)
近鉄電車で大和八木へ、近鉄大阪線に乗り換えて耳成駅を通り 長谷寺に参拝した。

この駅で下車した人は2人だけ。この駅から長谷寺までは階段を下り、けっこうかかる。
年配の方はタクシー利用がいい。私は参道をゆっくり歩きたい。

拝観料 500円 JAF会員カードを見せて 450円だった。

長い回廊のまわりは牡丹園


本堂から
ここの参道土産物店で 守口大根奈良漬け そうめんふし ひげ茶(茎茶) 200円を買う。お茶を買うのは3度目だ。

朝早くから行ったので、時間が余る。また大和八木駅に戻り、橿原神宮前で下車 橿原神宮に参拝した。





日曜日の平城京跡めぐり 火曜日の橿原神宮参拝 とにかく歩いた。橿原神宮の境内は広い。
橿原神宮は畝傍山のふもとにある。耳成山は長谷寺に行く途中 電車の窓から近くに見える。
雨香久山は見えなかった。

橿原神宮を歩き疲れて、橿原駅周辺で昼食をとる場所を探す。食堂が見つからない。
橿原神宮まで戻って お好み焼き屋さんで 焼きそば定食を注文する。500円
テレビでは あまちゃんをかけていなくて 大江戸捜査網だった。

食後 また歩いて 奈良県立橿原考古学研究所 附属博物館へ行く。



奈良県立橿原考古学研究所 附属博物館
春季特別展 「5世紀のヤマト 〜まほろばの世界〜」 観覧券 800円
この博物館が最も難解だった。2万年前の旧石器時代から縄文時代 弥生時代
古墳時代 飛鳥時代 奈良時代 平安時代 鎌倉/室町時代(〜1600)まで 展示が続いている。
半日で見るのは無理だ。よほど考古学に興味がなければ頭が付いていかない。

あきらめて桜井市の阿倍文殊院に行く。ここには国宝 快慶作の文殊菩薩がある。
他にも快慶作の文殊菩薩群像がある。

献灯 第九十代内閣総理大臣 安倍晋三
現在の阿倍総理大臣は第96代 この献灯は前回の総理大臣のときだ。
安倍さんは阿倍仲麻呂公 安倍晴明公と同じ字だ。1基だけ目立つところにあった。


拝観料は抹茶お菓子付きで700円
「JAF会員カードで割引になりますか?」と聞いてみた。団体料金になるとのこと。630円
ふつうは抹茶+お菓子で500円 快慶作の仏さまを拝んで700円はありがたかった。
快慶の仏さまは 保存状態がよく 光っていた。


明日香村の石舞台古墳と同じく 特別史跡に指定されている文殊院西古墳


25年 6月 3日(月)
奈良公園に行った。朝早いと観光バスは到着していなくて良い写真が取れる。


東大寺大仏殿の前で大きな声が聞こえる。中国語だ。ガイドが1人 携帯電話でホテルと今夜の部屋割りを決めている内容だ。
やかましいと文句を言いたくなるが 止めた。観光客は並んで東大寺本堂を見ている。
観光客はうるさくないので 大陸人ではないらしい。


大仏殿の中の拝観は3回目だが、人が少ないので改めてゆっくりと見物する。
アジア人女性が柱潜りをしている。しっかりと潜って出たので 小さく拍手してあげた。
大仏殿売店で 200円のコットンエコバッグを買った。小さく畳めて使いやすい。




出口の売店で 東大寺手拭いを買った。350円 

191枚目 「東大寺」の手ぬぐい

画面左側 戒壇堂になっている。戒壇院だと思っていたがJR東海の資料では戒壇堂となっている。どちらも正しいようだ。
今回は戒壇堂には行っていない。

二月堂に行く。ここも観光客は少ない。バスガイド付きの年配者グループ1組だけ。紳士ばかりだ。

ガイドは 「二月堂の回廊から眺める夕日は素晴らしい」と案内していた。
コンパスで方位を見たら 真正面が西だった。いつかここから夕日の写真を撮りたい。


二月堂から降りるとき 朱色の花が美しかった。柘榴 ざくろ の花だ。


この道は絵になる。外国人女性が一人 下からカメラを向けていた。
この道を下っているのは私だけ。壁際に避けてカメラの死角に入った。
しばらくして下りて行ったら外国人女性とすれ違い 私に向かって笑顔であいさつしてくれた。

正倉院(工事中)の横を通り、戒壇院には寄らず(前回 拝観している) 吉城園 よしきえん に行った。
もともと民間のものだったが現在は奈良県の所有である。庭園をみた。拝観料250円
日本人は私だけ、あとは欧米人のようだ。後で調べたら外国人は入園料無料だった。

奈良公園を出て、ならまち を歩く。お目当ては2007のサライに載っていた漬物屋さんのお昼の定食。
残念ながらお休みの日だった。
近所で 洋食の暖簾が目に入る。暖簾があるだけでメニューらしいものはない。


入ってみた。「どんなメニューがありますか」 若い男性3人がきびきびと働いている。
高そうなお店ではない。外見は普通の民家のままだ。

座敷の大テーブルに座り ハンバーグランチを注文した。他にはビッグハンバーグもある。

普通のハンバーグ 厚くてドミグラスソースのなかに埋まっている。ご飯大盛り+50円
1200円+50円 これで十分だった。 ビッグサイズはまた次の機会に食べてみたい。

午後から 奈良市から離れて京都府木津川市に向かう。
奈良市は奈良県の最も北に位置する。若草山を北のほうに走ればすぐ木津川市になる。
県境に近いところに 浄瑠璃寺 がある。このお寺が大好きだ。

九体阿弥陀堂 国宝 1107年の建造
この中に9体の仏様がお座りしている。
私はこの本堂を水彩画で描いている。

池の反対側には三重塔がある。この塔も国宝。



浄瑠璃寺 三重塔 (国宝)
ここの手拭いは3種類あり 大切に持っている。新潟で暮らしていたとき テーブルクロスにしていた。
今回は 紫陽花の手拭いがなかった。2種類だけだった。
山門入り口の無人販売所で 地元産のお茶を買った。ビニール袋1つ 100円


海住山寺に足を伸ばした。目的は国宝の五重塔である。
補陀洛山 海住山寺 ふだらくさん かいじゅうせんじ
山形県山寺の山頂に匹敵するような 高い位置にある寺だ。かんたんに行ける所ではない。




国宝 五重塔

日本に国宝の五重塔は11塔ある。
山形県 羽黒山
京都市 教王護国寺(東寺)  醍醐寺
奈良県 法隆寺 興福寺 室生寺 海龍王寺(屋内) 元興寺(屋内) 海住山寺 以上で9つ
海住山寺の五重塔は私にとって9番目に訪ねた国宝の塔になる。来てよかった。
あと2つは 広島県福山市の明王院 山口市の瑠璃光寺で 私はまだ行っていない。
生きているうちに行かなければならない。


25年 6月 2日(日)
早朝に起きて ビジネスホテルのロビーでノートPCを有線で接続しニュースほかチェックする。
残念ながら私のノートPCには無線LANは付いていない。今度買わなければならない。
朝食は 京都駅地下で買ったお寿司 京樽あさりちらし弁当 半額の290円、旨い。
コーヒーもネスカフェのパックを持参している。

新大宮駅前のホテルから大宮通りを平城京まで歩く。「20分ぐらいかかりますよ」とフロント氏
毎朝 ラジオ体操に歩いて参加している私にとって、いい散歩道だ。
「平城京跡」に着いた。ここまではよかった。
平城京跡は広い。ただただ広い。


平城京跡 朱雀門からだいぶ歩いた中間地点


向こう側は大極殿


手前のバッグは コンパス置きの台 手前が朱雀門がある南側


大極殿 近影
大極殿には 上村淳之画伯の四神が描かれている。

朱雀門から入り 大極殿まで歩き 平城京跡資料館をゆっくり見た。というか疲れて休んだ。
平城京跡資料館で 上村画伯の原画をもとにした 青龍 白虎 朱雀 玄武 一筆箋を買った。
平城京跡資料館の隣は 奈良文化財研究所 一人旅だったので歩いた。
共がいれば 歩けなかったと思う。

地図を見れば秋篠寺が遠くない。大和西大寺駅まで歩き(1キロぐらい) 近鉄京都線の平城駅まで行く。
平城駅からまた歩き 秋篠寺へ。タクシーもないし歩くしかない。


秋篠寺本堂 (国宝)

中にある重要文化財 伎芸天を拝んだ。美人の仏様だ。
他にも重要文化財の仏様が何体もいらっしゃる。

また平城駅まで戻り大和西大寺へ。
気になるお店で昼食。ほんとうは奈良らしい落ち着いたお店でと思っていたのだが。


大和西大寺駅前商店街 「宮本むなし」 ジャンボとんかつ定食
ご飯食べ放題で590円 ご飯は釜のまま 店中央部壁際に置いてあり、自分でお代わりする。
ご飯を2杯食べてきた。590円は安い。他にも お母さんの玉子焼き定食など たくさんの定食メニューがあった。

大和西大寺駅から秋篠寺の前を通るバスがあり、「秋篠寺へ行かれる方へ」と案内板があった。
最初からこのバスに乗れば良かったのだが。

近鉄奈良駅まで戻り、奈良公園を散策した。途中 近鉄奈良駅から入る ならまち でお餅を買う。 
このお餅屋さんは「中谷堂」と言い、高速餅つきで有名である。
2011年だったと思うが日本経済新聞の最後のページで なぜ高速で餅つきをするのかというご本人が書いた記事が載った。
この方は奈良県上北山村の出身で、寒い時期 餅をつくのは蒸したもち米が冷めないうちに、すぐにつくの普通だと思っていたそうだ。
だから「餅つきフォーマンス」と言われるのは心外だとの記事内容を記憶している。
歩きすぎて疲れた一日だった。


25年 6月 1日(土)
4時15分 自宅出発 国道4号線ではなく国道396号線(旧釜石街道)を南下する。
4号線と比べて道幅は狭いが信号が少ない。早朝の交通量も格段に少ない。
途中から国道456号線につながり花巻市から4号線に出た。
栗原市の築館ICから東北自動車道に乗る。06:35
仙台空港は国道4号線に近いので このまま走りたいが仙台市で通勤ラッシュを避けるため
このあたりから高速道路を使うほうが安心できる。
途中のSAで 握り飯+玉子焼きを食べる。お茶も烏龍茶をペットボトルに入れてある。
私のインサイトのカーナビは3年前のもの 仙台空港へのアクセスは古く、道路のほうが新しい。
2回目なので勝手がわかっている。
富谷JCTから仙台北部道路に入り、利府JCTで仙台東部有料道路に抜ける。
カーナビの画面には途中から出てこない。最初の走行時は不安だった。
仙台空港ICには07:45に着いた。仙台空港を目指して走り、「旅のりパーキング」に07:50着く。
入車手続きをして空港まで送ってもらう。このパーキングは1日390円 6日間お願いした。
08:00 ピーチアビエーションで手続きのあと 保安検査に並ぶ。
すぐに通過した。荷物は機内持ち込み用カバン 肴町商店街で980円で買った古い新品+カメラ用のショルダーバッグ。

機内では持参した読売新聞を読んでいた。10:55 関西空港に着いた。
機内で 京都までの割引切符引換券を買う。南海電車で大阪なんばへ



地下鉄で淀屋橋に出て、その後は京阪電車で京都まで。
京都では中書島 出町柳間は1日有効の乗り降り自由区間があり、宇治も区間内だ。

途中 荷物を預ける場所を探す。目的地は京都駅 5時から昔の仲間とのOB会が京都タワーホテルで開かれる。
今夜の宿は 奈良市の近鉄新大宮駅近くのホテル。
つまり 京阪電車と近鉄京都線が交わる駅のコインロッカーに預ければいい。
丹波橋で途中下車し旅行用カバンをコインロッカーに預けて宇治に向かった。

宇治平等院を訪ねた。拝観料は300円 安すぎる。
拝観受付で「今 鳳凰堂は工事中のため拝観料は半額の300円となっています。よろしいでしょうか」と聞かれた。
平等院は覆いがあり見られない。宝物館である「鵬翔館」を見学した。よって写真は無い。
平等院からの帰り道 参道の商店街で「お茶のかんばやし」に寄り、宇治茶を1缶買った。
妻も長男も長男のお嫁さんもお茶が大好きである。私はお茶は苦手だ。

宇治駅前でこの看板を見た。行ってみた。

京阪電車 宇治駅から臨時バス 200円


三室戸寺 拝観料500円 + 手拭い 300円


6月1日 臨時バス初日 紫陽花は葉っぱだけだった。
帰りのバス 200円

京阪電車で丹波橋まで戻り荷物を取り出し また京阪電車で東福寺まで。無料区間を有効に使う。
東福寺からはJRで京都駅へ1駅 すぐにタワーホテルに向かった。
ここからは楽しい。昔所属していた体育会のOB会 最年長は70代後半 最年少は23歳 + 現役の成人有志
昔の仲間といっぱい飲んだ。

宴会終了後 京都駅地下で半額になったお弁当を買い、またJRで東福寺へ。
東福寺で京阪電車に乗り換え 丹波橋で下車 よく京阪電車の無料区間を利用した。
近鉄に乗り換えて奈良に向かった。

190枚目 「宇治 三室戸寺」の手ぬぐい



25年 5月31日(金)
初夏の盛岡は新緑が美しい。
ラジオ体操にデジカメを持って行った。

中津川と盛岡城址公園 毘沙門橋から


毘沙門橋の上で 右側が私の影


毘沙門橋を渡ったところ 楓の新緑


葉っぱが美しい


体操をしている場所の若葉


体操をしている場所の前にある 宮沢賢治の詩碑 「岩手公園」

夕食後 お握りをたくさん(3合分)作った。明朝 仙台空港からピーチアビエーション9時15分に乗る。


25年 5月19日(日)
昨日のテレビニュースで放送していた「東北農業研究センター 菜の花公開」に行った。
盛岡市内北部の 国道4号線沿いにこの農場があり、少し離れて牧場も見える美しい道路だ。 
土曜日は晴れていたが日曜日は曇り 岩手山が写るかどうか心配だった。





岩手山と菜の花畑

蕗のとうの茎 (茎の部分だけ) 180円 赤玉子1パック 140円
フキノトウの茎は 油味噌炒めにして食べた。旨かった。


25年 5月18日(土)
前日に市内に住む姉から 葉わさびが届いている。
茹でてカットして密閉容器に保存した。夕食の酒の肴になる。春は山菜が豊富でうれしい。
午後 長い地震があった。2階に住む私のメモには 地震長い ゆらゆら と書いてある。
M5.9だった。


25年 5月17日(金)
風邪気味である。ただし熱はなく、咳がでる。夜 平らになると咳き込む。
風邪薬を飲んでいるが咳には効かない。
ドラックストアで 龍角散を買ってきた。長い間(昭和42年あたりから) 笑点を見ていると
咳には龍角散が効く と頭に刷り込まれている。効果がある。
そろそろ気温が上がってきたのでヘブンリーブルーの種を水に浸けた
伊豆で泊まった民宿からメールがあり、口コミ投稿を依頼された。
とても良いお宿だったので すぐに書いて投稿した。

189枚目 「茨城県自然博物館 きのこ」の手ぬぐい

さゆりちゃんのバス遠足のおみやげ


25年 5月16日(木)

前日 タラの芽はすべて片付いた。
伊豆半島旅行で買った夏みかん 宿からいただいた夏みかんがテーブルの上に残っている。
食べているが酸っぱい。当たり前だが、長男から送ってもらった愛媛県の伊予かんは酸っぱくなく 甘かった。
早く処分しなければならない。夏みかんを見ていたら ポン酢 が浮かんだ。
以前 伊豆の橙を取り寄せて ポン酢を作っている。
柑橘類果汁+酢  1リットル 醤油0.5リットル
大量のかつお節と昆布に漬け置きして瓶に入れ、冷蔵庫で保管する。
以前作った時は 濾して残った鰹節と昆布の処理に困った。
幸いに 昆布しょうゆが1リットルパックである。鰹節の代わりに 本だしを使って残渣が残らないようにした。
夏みかんは8分割にカットし、種を出してボールに搾った。
酢で酸度を調整しながら(ピクルス作りの経験) 紅茶濾しで500CCの炭酸水ペットボトルに入れた。
日常使っていない冷蔵庫のドアポケットに保管してある。酸っぱくなくやさしい味のポン酢に仕上がった。


25年 5月15日(水)
朝市で タラの芽を2パック買ってきた。蓑干し南蛮もまだ売っていたので1パック買った。
朝のうちに 天ぷら用に仕込みをした。このタラの芽は 天ぷらようにちょうどいい大きさで
天然タラの芽である。
午前中 私宛に宅配便が届いた。八戸勤務時代の同僚の女性からだった。中身はタラの芽。
新潟にもいつもこの季節に送ってくれる人だ。



八戸時代 昼休み時間に工場構内の緑地帯で私が花壇の手入れをしていた。
その花壇に自然発生したタラの芽である。
さて 天然のタラの芽が重複した。新鮮なうちに天ぷらにする。どうしようかと考えていたら良案が浮かんだ。
東京に住む三男と その婚約者にも食べさせたい。
午後から大量のタラの芽を天ぷらにした。もちろん新鮮な油を使って揚げた。
東京に 三男のところにも届くよう、形の良いものを選び、宅配冷凍便で婚約者のお母さんのところに送った。
残りは冷凍庫に保存した。夏にみんなが盛岡に揃ったとき 天ざるにする。
我が家には冷蔵庫が3つある。二つは小型。長男の転勤先用冷蔵庫だ。


25年 5月13日(月)
庭に植えている五加木をまだ食べていない。食べられるほどの量はないが、食べてみたい。
姉に頼んで少量 採取してもらった。胡桃や味噌漬けは保管している。
茹でて うこぎのほろほろ を作ってみた。旨かった。来年はもっとたくさん収穫できるよう、木の手入れをしている。
五加木は 木になったところを秋口に切れば 翌年の春先に脇芽(新芽)を出して伸びて増える。



25年 5月11日(土)
08:30 川越自宅発 県道15号線 国道16号線 国道4号線を走り
(高速道路を使わないで)盛岡に向かった。
この時期 一般道の道の駅や産直売り場は楽しい。季節の野菜がたくさんある。
茨城県五霞町 道の駅「ごか」で ネギ 葉付き大根 玉ねぎ きゅうりを買った。盛岡より半月 春が早い。
「ほっともっと」は5周年記念で のり弁当 220円のキャンペーンをしていた。(5月9日〜15日まで)
姉にもお土産代わりに 2つ買った。車には断熱性のバッグをいつも積んである。


25年 5月10日(金)
宿から海は見えないが、小鳥のさえずりで早朝に目が覚めた。
いつも持ち歩くパソコンは車の中に置いてある。
やることが無いので 顔を洗いがてらお風呂に行った。着いてから3回目のお風呂。
民宿だから部屋数は少ない。平日でもありトイレはいつも空いている。
7時20分 朝食 その前に食堂ほかに飾られているカラー魚拓を眺める。
妻が知らない魚もある。お宿の主人に聞いた。石鯛の仲間ということだ。大概の魚は知っている。
釣り客が多い民宿のようだ。
朝食は
@ あら味噌汁
A 鯵開き 大きめだ
B あしたばお浸し
C 自家製ヨーグルト
D 自家製イカ塩辛
E 生卵
F 冷奴
G 漬物2種類

ご飯は私が新潟暮らしが長かったせいか岩手秋田のひとめぼれ あきたこまちがおいしいせいか 普通だった。
1泊2食 8600円+入湯税+私のお酒代を支払った。
お土産に 伊豆の夏みかんをいただいた。8寺30分 雲見温泉の民宿「大漁」を出発した。
途中 石廊崎に寄る。灯台は陸からはうまく撮れない。海から撮ればいいのだが。




石廊崎灯台

目的地である下田市の 上原近代美術館を訪ねた。大正製薬の上原さんが集めた美しい絵が展示されている。
今回のテーマは 日本画家たちの美の饗宴 入館料は800円
横山大観 堅山南風 伊東深水 奥村土牛 小林古径 杉山寧 竹内栖鳳 もっと書きたいが。
ユトリロほか洋画も並んでいる。来訪者が少なく ゆっくりと鑑賞した。
拝観が終わると 受付の女性が コーヒーをどうぞ と勧めてくれた。
お庭が見える休憩所にコーヒー 紅茶等が用意してあり、来館者は無料でいただくことができる。
美術館のコーヒーはふつう400円ぐらいする。なんだかコーヒー付きで入館料が半額になった気分。うれしい。
帰るとき 残っている過去のポスターを いただいてきた。




帰路は伊豆半島東海岸を回る予定だったが、妻が 修善寺に行きたいと言う。
若いころ 岡本綺堂「修善寺物語」を読んでいるそうだ。
上原近代美術館からは修善寺周りのほうが近い。修善寺に向かった。

観光協会に行って、修善寺の観光パンフレットをもらった。お寺の「修善寺」は近い。歩いて行った。
観光協会窓口に 修善寺物語の絵巻風絵葉書があり、名場面が描かれていた。500円

修善寺 お寺の窓口で手拭いを買った。

近くの普通の食堂で昼食 私は親子丼 妻は山かけそば 合わせて1650円
帰路 浄蓮の滝に寄った。ここでも道の駅「天城越え」の手拭いを買った。手拭いがたまっている。

浄蓮の滝

188枚目 「道の駅 天城越え」の手ぬぐい



伊豆半島の真ん中の道を北上、大仁の産直売り場で切り花やネギ、山菜を買い熱海を抜けた。
国道1号線海沿いのお店で次男へのお土産 干物を買い、来た道を戻り圏央道に出て
自宅近くのスーパーで夕食の弁当・お寿司類を買い 川越市自宅に20時30分到着。


25年 5月 9日(木)
07:20 妻と一緒に川越自宅を出発した。朝食は途中で 山田うどん と決めてある。
埼玉県に入ったなら 山田うどんの店に1回は立ち寄らなければならない。

鶴ヶ島市 407号線 かき揚げうどん 340円
安くて 早くて うまい。かき揚げは ぱりぱりしている。

すぐ近くの鶴ヶ島ICから圏央道に入る。東京都あきる野ICで下りて
国道16号線 国道129号線 そして念願の国道1号線を初めて走る。
東名高速道路は使わない。
連休が終わったので、平日でもあり道路は空いている。
箱根の山道を走り、箱根峠でカレーライスを食べた。 500円 写真は取らなかった。
妻は ホットドッグ+水だけ 250円 おやつを食べていたらしい。




国道1号線を下り 道の駅「伊豆のへそ」で休憩
県道17号線に入り伊豆半島を反時計回りに走る。
国道136号線で海沿いを回る。富士山がきれいに見えた。


大瀬崎


大瀬崎付近の展望台から 富士山を望む 表紙に使った。

明るいうちに雲見の民宿に到着した。あまり気にしないで予約したのだが
温泉で、小さいながら露天風呂もあった。
妻が先に温泉に入り、喜んで部屋に戻ってきた。
「カワセミ 翡翠がいた」
露天風呂のすぐ外側に小川が流れていて、電線にカワセミがとまっていたという。

魚料理自慢のお宿(民宿)だけあって、夕食は豪華だった。
@ わらさの頭の煮付け 大きかった
A 刺身 石鯛 鮃 鯛 かんぱち 鰹の 5種類
B 明日葉と桜エビのてんぷら
C 茶碗蒸し
D 酢の物 わかめ
E 漬物
F 磯海苔のおすまし
G そば
H ご飯
  私は+冷酒
魚料理が大好きな妻は 満足した。刺身を残してしまった。


25年 5月 8日(水)
02時に自宅をインサイトで出発した。私一人だと国道4号線。
今回は妻も一緒なので盛岡南ICから東北自動車道に乗った。
04時前に高速道路に入ったので深夜割引が適用になる。
道路は空いている。国道4号線と東北自動車道が接近している矢板IICで高速道路を下り
4号線に入った。4号線から国道16号線につながっている。
国道16号線 川越市内の「飯の半田屋」で朝食を取り 川越自宅に11時30分に着いた。
飯の半田屋 たけのこご飯 180円
        天ぷらうどん  260円 計 440円 量が十分でうまかった。

高速道路を使ったので 思いのほか早く川越に着いた。
午後から 東京駅丸の内 三菱1号美術館で開催されている「クラークコレクション」を見に出かけた。
大阪市立美術館 「ボストン美術館 日本美術の至宝展」以来 美術館めぐりをしているようだ。



25年 5月 7日(火)
伊豆半島一周ドライブで、どこに宿泊するか調査していた。
@ 魚がおいしいお宿 温泉宿でなくてもいい。魚料理自慢の民宿にも泊まってみたい。
A 下田上原美術館が目的地
B 費用の関係で 有名温泉旅館はパス
C 駐車場が無料のところ
候補地はいろいろあったが、伊豆西海岸 雲見温泉にある民宿をネットで予約した。

事情があって、歯科医を訪ねた。同居する姉のお薦めの、アーケード街 肴町に近い歯科医にした。
最初の治療を受けた。虫歯があったり歯が痛いわけではない。
帰り道 太田精肉店でメンチカツを買ってきた。


25年 5月 6日(金)
GWの最終日 朝の新幹線で長男一家が東京に帰った。さゆりちゃんが居なくなって寂しくなった。
イエローハットに出かけ ドライブレコーダーを買った。本体価格は7980円
取り付け料は溜まっていたポイントを使用した。
連休明けに妻を川越まで送り、その後に伊豆半島を一周してくる予定だ。


25年 5月 5日(日)
長男夫婦が神子田の朝市に行きたいというので、私がラジオ体操から帰ってから車で出かけた。
車だと5分もかからない。
フキノトウの天ぷらを食べたいという。買って帰り天ぷらにした。
午後から長男に手伝ってもらい インサイトのタイヤ交換をした。二人だと早い。


25年 5月 4日(土)
雨振りでラジオ体操に行かなかった。車で神子田朝市に行き「うこぎ 五加木」を2パック買ってきた。
長男が大好きである。茹でて、水を切り、鬼胡桃の砕片と大根味噌漬けの刻んだものを合わせ
ご飯に振りかけていただく。盛岡では「うこぎ(なまってオクギ)のほろほろ」と呼ぶ。
我が家でも、川越の自宅に植えてある。盛岡の家にも3年前に植えたり、川越自宅で挿し木したものを追加したが
まだまた木が小さく、食べられる大きさではない。来年は盛岡でも収穫できる。
川越ではついつい葉が大きくなり、私がいないため、また棘があるので収穫していない。

10時過ぎ、雫石の「ゆこたんの森」に日帰り入浴のため出かけた。
さゆりちゃん一家+次男も入れた我が家3人。
入浴料は長男が出してくれた。
さゆりちゃんが入浴後、頬を真っ赤にしながらフルーツ牛乳を飲んでいる画像があるが貼れない。
帰り道、雫石の「まつぼっくり」でソフトクリームを食べた。私はソフトクリームではなく
隣の野菜売り場で うこぎに使う味噌漬を買った。
土日ジャンボ市に寄り、皆さんそれぞれラーメン類をいただいた。今度は私が払った。


25年 5月 3日(金) 憲法記念日
11時から 近くの寺で母親の三回忌法要を行った。
私が通った小学校の名前と同じお寺である。つまり小学校の学区内。歩いて数分で山門に着く。
ご案内したのは内輪だけ 私の兄弟とその子、孫たち。
もちろん仕事優先で、仕事がある人はわざわざ盛岡まで来ることはないと、ご案内している。
私を含めて計20名集まった。
法事後の会食は 「れすとらん我が家本店」
ホテルや料理屋さんから何通も法事の後のご案内があったが、私が料理人である。
料亭からの料理ご案内は 4000円/人 つまり 子供たちを含めると8万円+飲み物代
レストラン我が家の材料代は お酒代は別にして 2万円もかからない。
料理材料は 神子田朝市で季節の野菜、山菜を買う。肉はなし 魚はちらし寿司用に、多くはいらない。
この日に備えて準備していた材料もある。

朝6時前に 神子田朝市に行った。前日まで高価だった天然の「タラの芽.」は、旬に入り高くはなかった。
三回忌法要 お品書き

平成二十五年五月三日 三回忌法要
前菜  台湾烏龍茶煮玉子
      台湾高山筍辣油煮
野菜  自家製昆布巻き
    自家栽培 行者にんにく

煮物  厚焼き玉子
    肉団子
 (お子様用)
焼物   豆腐とこんにゃくの田楽 + 甘味噌
    
帆立貝 海老バター炒め
揚物  山菜天ぷら 
    
新じゃが素揚げ + 野田塩
汁物  金針菜と玉子の吸物
ご飯  バラちらし寿司
場所 一日一組のレストラン我が家 本店

前菜の烏龍茶煮玉子は 台湾日月潭で、ガイドが「この店のおばあさんが作る煮玉子は最もうまい。5日間煮こんである」
熱くて味が濃く、たいへんうまかった。後日 台北で有名なコンビニの煮玉子を買って食べたが、
日月潭文武廟 手前から○軒目の、おばあさんが作った煮玉子とは比べ物にならなかった。
私も同じく5日間かけて作っている。ただしシャトルシェフを使い、燃料代を抑えてある。
味付けは ガイドが漏らした内容のまま 再現した。(これまでに3回作っていて研究している)
筍は台湾産完成品 大阪の食博覧会で買った。

行者にんにくは 裏の庭で栽培している。
厚焼き玉子は私の得意料理 できあがった色が問題だ。
帆立貝バター炒めは 東北産の小さめの帆立貝をふんだんに皿盛りした。
山菜天ぷらは タラの芽 こごみ まいたけ 蓑干し南蛮
「新じゃが素揚げ」は 人気コミック「銀の匙」第7巻に出てくる。
常盤恵次が学園祭のあとの打ち上げ会で、ジャガイモ畑に残った小さな芋を 素揚げにして
仲間から絶賛される料理だ。神子田朝市で小さめの新じゃがを前日に買ってある。
金針菜の吸い物も 大阪食の博覧会で台湾産の生のニッコウキスゲ花芽を買ってある。
バラちらしは 妻が得意とする料理 NHKドラマ「イキのいい奴」(1987年)で、親方 小林薫が
弟子の金山一彦に、寿司屋の客が少なく、材料が余ったとき バラちらしの作り方を教えた。
それ以来 我が家の得意料理になっている。


25年 5月 2日(木)
5月3日に母親の三回忌法要を行う。
川越から次男がミニクーパーで着いた。
夜 東北新幹線で長男一家が盛岡駅に着いた。
三男は4月13日14日に盛岡に来て 拝んでいる。
長男は4月末にフィリピンから帰国したばかり。フィリピン土産をたくさん持ってきた。
私は 3日の料理を考えている。


25年 5月 1日(水)
花巻市の高村山荘を初めて訪ねた。風が冷たく 春はまだ先だと思った。
詩人/彫塑/文学など 高村光太郎が昭和20年10月から昭和27年まで
農耕自炊した小屋である。
土間と囲炉裏のある一部屋だけの小屋は 地元の人たちが持ち寄った木々で作られた
もうひとつの建物で保護されている。冬の東北は寒い。この寒さの中で、雪の中で
高村光太郎は 一人暮らしをしていた。



5月1日 山の木に緑は無い


詩碑 「雪白く積めり」 


山荘の前に 水芭蕉が咲いていた


手ぬぐいがあった。2本買った。



25年 4月30日(火)
テレビニュースで、石割桜が満開だと映像を流していた。
我が家からは歩いて30分ほど、岩手県庁、盛岡市役所、盛岡警察署などがある官公庁地区の
盛岡地方裁判所の庭にある。
石割桜が咲く時季 盛岡にいることはまず無い。今年は春が遅く、桜の開花が遅れていた。

石割桜 エドヒガンザクラ


光線の具合が良くなかった


盛岡市役所裏から 清流 中津川を写す


帰り道 肴町商店街で イタリアンパセリの苗 3鉢を買い、庭に植えた。
割れ南部せんべい 2袋も買った。私の車載用お菓子である。


25年 4月27日(土)
午前中 京都国立近代美術館を見た。この日は開館記念日で入場は無料だった。
午後から 大阪南港 大阪国際見本市会場 インテックス大阪で開催されている
「’13 博覧会・大阪」に行き 各地の特産品をいろいろ食べてきた。



世界各地の料理


毎年1月に新潟県新発田市で開催される全国雑煮合戦に、何度も行っている。
たくさん食べられるものではない。少しずつ 食べることが基本である。
たとえば ラーメンを1杯食べたなら 次のものが入らないのが普通である。
半分の丼や、試食サイズのものを何種類もいただいた。
青森県も 岩手県もお店を出している。奈良の柿の葉寿司をお土産に買った。
会場は7館あり、全部回った。
台湾産の食材を売っている店があり、味付きの筍と、ニッコウキスゲの花芽(金針菜)を買った。

一旦本町まで戻り、南海電車で関西空港から仙台行き ピーチアビエーションに乗った。
南海電鉄 関西空港行き特急

私には 「鉄人28号」に見えてしまう


25年 4月26日(金)
9時から京都御所を見学した。予約制である。
受付で申し込み番号をチェックし、御所の中に入る。京都御所の門は皇宮警察が警備している。
見学者控え室に行き、若い女性職員の案内で1時間 見学する。
あちこちに警察官が多く見えて、緊張するが、案内する女性職員は腰が低い。
見学者も自然に腰が低くなり、丁寧に後に着いて回る。
すべて屋外からの見学であり、撮影は ご自由に という。



奥の建物は 紫宸殿




京都御所 庭園

見学者控え室の売店で 今年から幼稚園に入る さゆりちゃんに
小さな手提げ袋を買った。

午後から 京都 八瀬 瑠璃光院を訪ねた。期間限定の特別拝観である。


2階座敷から 楓の庭園


1階座敷から 池と庭園


きれいな手ぬぐいがあり、1本買った。


25年 4月25日(木)
晴れている。奈良公園の国立博物館に行く。
途中、「興福寺国宝特別公開2013」のポスターが目についた。
期間限定で南円堂と北円堂を同時公開している。
2013年は 南円堂が創建1200年にあたる年であり、毎年1日だけの一般公開が
4月12日から6月2日までの間 特別公開される。いい時に奈良に行ったことになる。
当日券は1200円(記念品つき)  イコカやSuicaなどの交通カードを提示すると100円引きと
チケット売り場に書いてある。幸いスイカを持っていた。
スイカを提示して1100円でチケットを買う。「興福寺南円堂 創建1200年記念」 根付けも記念品だった。
南円堂入り口の若いお嬢さんは、チケットを見て一人づつ緑色の袋を配っている。
「履物はこのバッグに入れてください。拝観後は記念品としてお持ち帰りください」
緑色のエコバッグだった。

交通カードで100円引き、記念品2点付き 良かった。

電車のカードが全国共通に利用できるようになって たいへん便利だ。
今回の関西旅行でも 関西空港からのアクセスに南海鉄道でスイカがそのまま使用できる。
JRはもとより、天王寺までの近鉄、京都市内乗り換え用の阪急、京都市営地下鉄など
今までは料金表から調べて 切符をその都度買う必要があった。
多少 多めにチャージしておくことにした。

南円堂外観 八重桜が満開だった

昨日 大阪市立美術館で読んだ 康慶(運慶の父)の作品ほか国宝の仏像が
並んでいる。

北円堂

運慶が制作を指揮した国宝の仏像が安置されている


25年 4月24日(水)
大阪にいる。
天王寺公園にある大阪市立美術館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝展」を見た。


平日であり 開館と同時に入ったので混んではいない。
快慶作 弥勒菩薩立像が良かった。たくさんの美術品があり、覚え切れない。
時間がたっぷりあるので、美術館資料室の蔵書 画集を何冊も見た。
運慶/快慶の本もあり、しっかり読むことができた。
昼食は四天王寺近くの 餃子の王将で 炒飯と餃子のランチ 594円

午後から東大阪市にある「司馬遼太郎記念館」に行き、館内を見学して
記念に 街道をゆく「陸奥のみち」を買った。久慈も八戸も出てくる。



25年 4月23日(火)
奈良市にいる。昨日午後から奈良市郊外の寺院を訪ねている。
市内の有名観光地は見ているので、団体観光客が行かない古寺をゆっくり回る。
古い建造物と仏を見て拝む。般若寺 円成寺 元興寺 いずれも参拝客が少ない。
元興寺には小さな子ども連れの外人観光客がいた。

般若寺(はんにゃじ) 近所の小学生が拝観受付をしていた。係りの人はお食事中だったのだろう。
冬景色の盛岡から行った私には山吹の花が満開で、春の日差しを感じた。


楼門 般若寺の入り口は別なところにある。
鎌倉時代に再建されたこの楼門は 国宝に指定されてある。
奥に見える十三重石宝塔は重要文化財 奈良には重文や国宝が人の暮らしの近くにある。


圓成寺(=円成寺)は市内から離れている。柳生街道沿いの古寺、訪ねるのに時間を要する。
もみじが美しかった。庭園もすばらしい。


円成寺 楼門(重要文化財)


写真を撮ることはできないが、仏師運慶が20代のころに作った木造大日如来坐像がある。
大きな仏像ではないが、多宝塔のガラス窓から反射を防ぐめがねをかけて見る。
国宝の仏像は光り輝いており、1176年作とは思えない美しさだ。
参拝客は数名しかいない。ゆっくり拝んできた。

元興寺(がんごうじ)  東大寺/興福寺の近くにあるが団体観光客は見えない。
後方の禅室は国宝である。


石仏の間に散る八重桜

手ぬぐいを買った。

午後遅く 千早城を訪ねた。大阪府千早赤阪村にある。


登り口 急な階段が続いている


行けども 行けども階段が続く あきらめて戻った


若いころ 吉川英治の「私本太平記」を読んでいる。
2度の引越しを超えて手元にある講談社文庫本は 昭和50年4月5日 第1刷発行
1991年の大河ドラマ「太平記」もビデオに撮って現存している。
この場所 千早城に行きたかったのだ。


25年 4月22日(月)
私の日記を再開する。
デスクトップパソコンに入れてある「ホームページビルダー」の「FTPツール」が繋がらなかった。
「接続できません」というメッセージが帰ってきて、アクセスできなかった。
もう1台のノートPCからはアクセスできるが、パソコンを2台使うと、写真の整合性が崩れる。
私のホームページのスポンサーは長男、長男が借りたサーバーを使っている。
その長男は 仕事でフィリピン ミンダナオ島に在住している。
帰ってくるまでアクセス不能の状況調査ができない。だから停止のままだった。

GW直前に帰国し、妻子といっしょに盛岡に来てくれた。解析して直してくれた。
原因は サーバーにアクセスする設定番号が変わっていたことによる。
変えたつもりはなかった。たまにこんなことがある。
4月22日からスタートしたのは、この日に 仙台空港からピーチアビエーションに乗ったからである。
ピーチアビエーションは4月12日から 仙台空港―関西空港路線が就航した。
日程の都合上 22日の朝の便に乗った。

仙台空港前の彫刻
仙台空港は東日本大震災の津波画像で何度も見た。この彫刻も、その時のテレビで見た。

宮城県出身の彫刻家 佐藤忠良作品
佐藤忠良の彫刻は 釧路市幣舞橋、御堂筋彫刻ストリートの日記でも紹介している


桃色と紫色の中間色 機体はエアバスA320-200

座席は狭いことを期待して乗ったが、狭さは感じなかった。
搭乗前に 窓側乗客から案内して、その次に通路側座席を案内
旅なれた若い人が多いせいか、スムーズに席に着いた。
ふつうはおばさん おじさん達が席を探しながら通路を塞いでいるのだ。
インターネットで予約し、自宅プリンタでチェックイン用バーコードをプリントする。
仙台空港 関西空港往復運賃は12,108円
ちなみに東北新幹線 盛岡東京間の片道運賃は13,840円

仙台空港までは午前4時に国道4号線で出発した。
この航空運賃に比べると高速道路通行料金は安くはない。
仙台空港での駐車場は あらかじめネットで調べていた。390円/1日
駐車場から空港まで送迎してくれる。

関西空港から 南海なんば駅まで890円
なんばで 伊勢うどんの看板を見つけて 早速食べた。


構内の立ち食いそば店で 300円

伊勢うどんは 讃岐うどんとはまったく違い、コシがない。やわらかい。
味と麺については書かない。


25年 1月 2日(水)

さゆりちゃんの母方の一家に川越まで来てもらい新年会をした。
川越の居間は応接セットも何もないフローリングだ。ホットカーペットを敷いていてその上にテーブルを組み立て、料理を並べた。
人数分座れないのでお酒を飲まない人は台所のテーブル。

長男夫婦と一緒に年末「コエドブルワリー」の工場をわざわざ訪ねている。
小江戸川越の地ビールを最初に開けた。小瓶を5人で分けて味見する。

COEDO 白  白濁色
COEDO 漆黒 黒ビール
COEDO 紅赤 琥珀色
COEDO 瑠璃
COEDO 伽羅

5種類あった。一通り味わってからもったいないから日本酒にした。石川県の「菊姫」を新潟で買ってあった。
さゆりちゃんの先方のおばあちゃんが用意してきた焼鳥屋さんの焼き鳥がうまかった。


25年 1月 1日 元日
私だけ早起きだ。前夜の紅白歌合戦にも興味がない。
第一 歌手の名前を知らないし歌も分からない。グループの名前も読めないのだ。
長男は3時ごろ台所で燻製用の牡蠣の下ごしらえをしていた。
前夜に、さゆりちゃんのおかあさんは残ったパイ生地でアップルパイを焼いていた。
苔寺のテレビ番組を見ながら家族が起きるまで新聞とチラシを読んでいた。

部屋に掃除機をかけ、妻が作った雑煮を食べてから、河原に燻製道具を車に積んで出かけた。
と言っても直線距離で200mもない。
風もなく青空、寒さは感じない。三男といっしょに燻製器をセットした。さゆりちゃんとおかあさんは歩いてきた。


熱源は七輪+炭 燻製器の網は2段しかないので、100円ショップで2枚買っていたステンレスの丸い金網を、
ステンレス針金で網の下部に取り付け、計4枚の網ができた。
取り付けた丸網には竹輪とゆで卵を載せる。もともとある丸い網には豚バラ肉と鶏肉を載せる。



前年は時間が足りなくて、またベーコンの外側が焦げたので今年は時間をたっぷりかけ、燻製チップが燃えないよう水をたらした。

三男が、妻が作ったおにぎりをお昼どきに差し入れに来た。味噌汁と漬物、お湯も届いた。

三男も半分握ったという。上手な三角形だ。
日向ぼっこしながらお昼ご飯を食べた。


お昼過ぎ、凧揚げの家族連れが何組か河原に来た。
あいにくの無風状態、燻製器から出る煙がたなびかないでまっすぐ上に行く。
お気の毒なぐらい凧が上がらない。


完成品を入れる容器を持ってさゆりちゃん親子が来た。

カメラを持って河原に座っていると上空を青い鳥が横切って河原に停まった。
「あの鳥は何だっけ」と頭が回転する。何回か見たことがある青い鳥。
「カワセミだ」と気がつくまで数秒かかった。
小畔水鳥の郷公園に巣があり妻は何度も見ているという。
カメラを持って河原に行くと大きな嘴が見えたが近づくと飛んでいった。


元日の川原で面白いことをしている我々親子に「何をしているのですか」と声をかけてきた人が2組。
用意していたラップに燻製ゆで卵を包んでプレゼントした。
夕食は燻製の試作品を主体に、ハムやかまぼこ、千枚漬けなどをテーブルに並べた。

夕食の主食はアップルパイ用に作ったパイ生地で「マカロニグラタンのパイ皮包み」をさゆりちゃんのおかあさんが作った。
私は偽ビールと日本酒を飲んでいた。



24年12月31日(月)
次男は早朝に出勤した。帰りは夕食時間に間に合うという。
次男が出勤したあと、燻製用にたまご30個を茹でた。
殻がむけるよう室温におき楕円形の太い先をピンで穴をあけて茹でたが、やはり剥きにくい。
さゆりちゃんもゆで卵の殻剥きを手伝った。さゆりちゃんは白身までむいて、「黄色い玉がでた」とはしゃいでいた。
燻製用にちくわ30本を濃縮だしつゆで煮た。茹でたまごも「煮たまご」にしている。


燻製用ちくわ 30本

ゆで卵 29個 1個はさゆりちゃん用

妻は「そんなに作って誰が食べるの」とあきれている。
我が家が元日に河原で燻製を作っていると、犬の散歩の人や、ウォーキング中の人が何人か立ち寄り
「何をしているのですか?」と珍しそうに聞いてくる。
「自家製の燻製ですよ」と答え、プレゼント用に必要なのだ。
竹輪とゆで卵は燻製の途中でも食べられる。
長男は「ベーコン」「牡蠣」も下ごしらえをしている。

昼食は次男を除く6人で近くの「すき家」に出かけた。やりたいことがあったのだ。
テーブル席で牛丼を5種類注文した。
@ 牛丼ミニ  230円
A 牛丼並   280円
B 牛丼中盛  380円
C 牛丼大盛  380円
D 牛丼特盛  480円
E きのこ牛丼 400円
F お子様カレーセット 350円
以上の7品を選んだ。さゆりちゃんに牛丼ミニを食べさせたかったがカレーを注文したので並とミニは三男が食べた。

3種のきのこ牛丼  さゆりちゃんのおかあさん


ミニ 並 中盛り


大盛 特盛


上から見れば違いが分かるはず と思ったが
(この上に メガ牛丼 牛丼キング がある)
食べ終わってから面白いことに気が付いた


中盛(たぶん)





大盛


特盛

これで、新潟→川越の旅「牛丼店巡り」が完結したことになる。

なか卯 吉野家 松屋 すき家 + 山田うどん
「次回は『餃子の満州』に行こう」とさゆりちゃんのおかあさんを誘っている。
川越我が家キッチンの壁に大きめのホワイトボードがかけてある。
この家の内装を変えたとき、当時高校生だった三男が言い出して買った。
1月2日にさゆりちゃんの先方の祖父・祖母が我が家に来て新年会をする。
元日用のおせち料理は作らず2日用に作ることになった。
ホワイトボードに 1日の料理  2日の料理の絵を器ごと書いた。

重箱
 酢蓮
 きんとん さゆりちゃん母
 田作り    〃
 大根膾  妻
 紅白かまぼこ
 伊達巻  三男
 焼き海老 妻
 ハム
 燻製盛り合わせ 
   長男手作り ベーコン ちくわ ゆで卵 鳥ハム 牡蠣

皿盛
 のっぺ 前新潟県民の私  里芋 塩鮭 にんじん ごぼう しめじ いんげん
 ホタテ佃煮風 元青森県民の私
 千枚漬け 妻  蕪 鷹の爪 昆布
雑煮  前京都市民の調理師次男

刺身は余るので なし とした。
本当の理由は新潟県寺泊漁港の魚屋さんに寄らなかったからである。23日夜に移動したので早すぎた。
すべて手作りなので材料費だけ。最も値段が張ったものは燻製ベーコン用の豚バラ肉と冷凍の牡蠣だった。


24年12月30日(日)
江戸川区で一人暮らししている三男が実家に戻っている。
休日出勤は当たり前の職場でがんばっている。前回会ったときは少し体調を崩していたようだが回復していた。安心した。
川越実家で暮らしている次男の勤務時間は夜型で帰宅時間は24時を過ぎる。
久し振りで3兄弟がそろいにぎやかになった。三男はさゆりちゃんに遊ばれている。

さゆりちゃんは三男に乗っている。

アルバイトで水泳教室のインストラクターをしていた三男はもてる。3歳児から熟女までのようだ。
長男と1月1日に近所の河原で行う燻製の相談をした。
夕食は「カレーライスを食べたい」とのリクエストがあり私に出番が回ってきた。
保温鍋シャトルシェフでチキンカレーを作った。
シナモンやナツメグ、オールスパイスをたっぷり入れてシャトルシェフで4時間ぐらい寝かせておいたところ、おいしいカレーができた。



24年12月29日(土)
オークションで落札した 安野光雅「風景画を描く」が届いた。
NHK教育テレビ 平成7年1月からの番組のテキストだった。
私は安野画伯の絵が好きで、『旅の絵本』をだいぶ前に買っている。
『平家物語』の一筆箋も気にいって使っている。

画用紙を持ってきたので絵を描きたいところだが絵の具と筆は持ってきていない。下書きを数枚書いた。
油彩は高校時代美術部だったので知識があるが水彩画の知識はまったくない。
「風景画を描く」を何度も読み返した。道具の解説や画用紙の使い方もあり、おもしろい。
私が尾入温泉シリーズ9枚を描いた画用紙は、ホームセンターで買った10枚200円もしないものである。
輸入品の高級画用紙は1枚1000円ぐらいする。
伝統のある輸入品を使ってみたい気もするがもその前にもっと勉強することがある。

第一、樹木や遠景の山を描けないのだ。

お昼前、坂戸市の司法書士事務所に依頼していた登記関係の書類を取りに行ってきた。
夕方に三男が「川越の実家」に戻ることになっていた。
三男は出身高校のある川越市で部活仲間と会うことになっている。
「間に合わないので直行する」との連絡があり、顔を見ないうちに眠ってしまった。


24年12月28日(金)
埼玉県内を走ると「山田うどん」のかかしの看板が目に入る。
さゆりちゃんのおかあさんに「山田うどんに入ったことがあるか」と尋ねたところ「ない」とのこと。
近くの国道407号線沿いの山田うどんに行った。


私はかき揚げうどんの大盛り 340円+50円


妻はかき揚げうどん 340円
さゆりちゃんはお子さまうどんセットを食べた。

さゆりちゃんおかあさんは「冬のあったかメニュー ちゃんぽんうどん」580円


24年12月27日(木)
荷物片付けも一通り終わり、ひまをしている。
特に予定がないので妻の両親の墓参りに出かけた。都営八王子霊園にお墓がある。
川越自宅からすぐの圏央道「鶴が島IC」から乗れば近い。以前は国道16号線を横田基地の前を通るコースで一日がかりだった。
寒い日だったがさゆりちゃんは公園のような墓地の広場でしゃぼん玉をした。
寒くて風が強く写真を撮らなかった。



24年12月25日(火)
新潟から積んできた引っ越し荷物を車から降ろして片付けをした。
調味料ほかそのまま使うことができるもの、単身生活用のレトルトご飯など食材も積んである。

洗濯物もある。妻は洗濯機を2回まわした。川越は青空でベランダに洗濯物を干すことができる。
私以外は朝はゆっくり、私だけ5時前に起きている。私は公園のラジオ体操にも参加している。
朝ご飯が遅かったので、昼食は川越自宅から一番近い吉野家に出かけた。
川越的場店が女性向けに改装したとき、読売新聞に載っていたので私が行きたかったのだ。
さゆりちゃん親子と一緒に女性用セットを見てきた。さゆりちゃんおかあさんは小町セットを頼んだ。
小さめ牛丼+みそ汁+野菜総菜の小鉢2つがセット 490円
注文した小鉢のひとつが品切れで別なものに変えたので揃わなく、写真を取り損ねた。
私と長男は 焼き鳥つくね丼、以前盛岡で食べたとき、みそ汁付きのサービス券を2枚もらっていた。

焼き鳥つくね丼 スポンサーは私、選択の余地はないのだ。


焼味豚丼 十勝仕立て 並盛 妻が注文した。
あと今回の旅で行っていない牛丼店はすき屋だけになった。


ネットオークションで 安野光雅 水彩画を落札した。


24年12月24日(月)

川越にさゆりちゃん親子が来ている。

24日 9時前の川越自宅近くの公園。新潟の人に申し訳なく思うぐらいの晴天だ。
さゆりちゃんとは新潟の私のアパートで、長男のアパートでも会っているから久し振りではない。
会うたびに賢くなっている。私の手拭の野菜の柄 ニンジン、さやいんげん、タケノコ、蕪も絵を指さして聞くと名前を知っていた。
きれいな日本語でお話ができるので楽しい。お箸も正しく持てる。
さゆりちゃんのおかあさんはクリスマスケーキを手作りした。

使った材料がおもしろかったので あとで「エコノミー料理」に収録する。

長男は鶏丸ごとのローストチキンを作った。私の出番はなく、偽ビールを飲んでいた。

中にはカラフルな野菜のマカロニが入っていた。

トマトのサラダ あとでワインも出てきた。


24年12月23日(日)
長男が今日中に撤収しようと言う。
「娘といっしょにクリスマスイブを迎えるのだ」と張り切っている。予定では24日の撤収計画だった。
幸い撤収作業は順調に進んでいる。
午後にトランクルームに預けておく家財道具をレンタカーのトラックに積み、
掃除機以外のものをトランクルームに運びこんだ。部屋の中に空間ができた。

トランクルームの帰り道、私だけ朱鷺メッセで降ろしてもらう。
新潟県立万代島美術館で開催されている「巨匠たちの英国水彩画展」を見た。新潟にいてテレビで知った。
東京渋谷の美術館で開催されていて見たかったが諦めていたところ、東京展の次は新潟開催だったのだ。
12月18日が初日であり始まったばかりだった。広い会場に来訪者は少なく、近くからじっくりと見ることができた。

1750年前後の水彩画で、名前だけは知っているターナーの作品がたくさん展示されている。
風景画が主なので、私にとってたいへん参考になるのだ。

淡い色彩で細部まで極めて丁寧に描かれている。
建造物は石造りが多く茶色が主体で正確な描写と遠近感で、じっくりと近くから眺めてきた。
絵葉書を2枚買った。小一時間ほどでレンタカーを返し終えた長男が迎えに来た。
美術館からの帰り道、私が「まだ行っていないラーメン屋さんに行く」
お昼ご飯を食べずに引っ越し作業を続けていたので、夕食を兼ねて 行きたかったラーメン店に寄る。
長男は「にくばか か?」と知っていた。新潟に来てから仕事仲間から「ぜひ行くべき」と聞いていたとのこと。
「にくばか」という変わった名のお店だ。メニューの数は3つしかない。
私は「ちゃーしゅうめん」 長男は「ちょい太ちゃーしゅうめん」

ちゃーしゅうめん大盛 580円+10円


ちょい太ちゃーしゅうめん大盛 680円+10円 特性ちょいのせ100円
満足した。
支払は長男。うれしい。

長男のエスクードと私のストーリアに荷物を積み込む。
布団類と段ボールが積めない様子なのですぐ近くのヤマト運輸営業所にホットカーペットほか3点を依頼してきた。
宅急便ではなく「ヤマト便」だという。翌日配達ではないが料金が安い。ホットカーペットを含む3点で4千円からお釣りがきた。

8時過ぎにアパートを撤収し、トランクルームに掃除機ほかを預けて紫竹山ICからバイパスに載る。
昼過ぎは降っていなかったが9時過ぎから吹雪に変わり、吹雪に見送られて新潟市を離れた。

長男とは関越道2か所のサービスエリアで連絡を取り合うこととし、それぞれ関越道に乗った。
両方ともにそれぞれ別な場所で仮眠をとり、川越自宅に着いたのは24日午前3時を回っていたが10分も違わなかった。


24年12月22日(土)
午前中、新潟市の廃棄物処分場に最後の持ち込みをした。焼却熱を利用した隣の入浴施設に入ってきた。
土曜日の午前中だけあって、利用者は私のような年配者だけ。
私が一番若いぐらいだ。ここの200円の入浴は価値がある。でもわざわざ遠くから来るほどのものでもない。
昼1時過ぎに長男は仕事場の撤収作業が終わって戻り、いっしょに以前の私の職場近くのラーメン屋さんに顔を出した。

初めて親子で訪ねる。
ラーメン屋さんのおかあさんは私が新潟を去る時
「また新潟に来る機会があったら寄ってくださいね」と別れを惜しんでくれた。

お昼の時間が過ぎていたので他の客はおらず、いつものとおりラーメンライスを頼んだが「ご飯が売り切れ」とのことで、
大盛りラーメンにした。地鶏のたまごをサービスしてくれた。
近くの観音様にお参りしてきた。


24年12月21日(金)
長男アパートのすぐ近くに牛丼店 松屋がオープンした。
午前中に行き、牛めしを食べてきた。開店日なので何かプレゼントがあるか期待して行ったが何もなかった。
松屋はみそ汁付きなので50円分お得、280円の牛めしで期待するほうがおかしいと思いながら食べて帰った。


帰り際店の外のポスターを見たらカレーライスだけ開店記念サービスで50円引きだった。

この日も一日中荷造り、梱包をした。食材もだいぶ少なくなったので、料理道具は電子レンジと湯沸かしポット以外片づけた。
夕方、長男といっしょに五頭温泉郷の出湯温泉 共同浴場に行った。
その前に村杉温泉の川上豆腐店に立ち寄り、豆腐を買った。ここの豆腐屋さんは機会があれば寄っていた。
大きなポリバケツにおからが置いてあり、豆腐を買ったお客はセルフサービスで頂いてくる。
観光シーズンは早く行かないと無くなってしまうが、真冬の雨の日はたくさん残っていた。

豆腐を2種類買い、5種類の試食品を食べ、ついでに三角油揚げも買った。

出湯温泉の共同浴場は以前も行ったことがあるが、別な場所に新設されていて、上がり湯はかけ流しで蛇口があった。
200円の入浴料金は長男が支払ってくれた。観光客は誰もいなく、地元のご老人だけであり空いていた。



24年12月20日(木)
早朝から長男アパートの荷造りを始める。長男は6時ごろに出勤するので、寝具や台所用品を私が片っぱしから整理して梱包する。
一部新潟市内のトランクルームに預けておく家財道具もあるから、梱包だけを先に終わらせておく。
長男の仕事は建設業関係で、臨界工業地帯の工事現場を半年から1年ぐらいで駐在することになる。
私も単身赴任期間が長かったが一か所、長男は短期間で何か所も回ることになる。
今回は子供が未就学であり、最後の家族呼び寄せとなりそうなのでアパートを借りている。


長期の私と短期の長男の「暮らしの違い」はたいへんおもしろかった。
本を書きたいぐらいのテーマが転がっている。「初めての単身生活料理」にまとめたいぐらいだ。

1.長男アパートの入居時の設定
@ ガスはプロパン、4ヵ月で使用が終わる。安いコンロでも17000円、次の暮らでプロパンガスになるかどうかは分らない。
  ガスレンジはあきらめ、1個口のICヒーター+電子レンジ+電気湯沸かし器とした。
  災害時に備え卓上ガスコンロ+ガスボンベを用意した。


A 照明器具 なし だったので、引掛けシーリング+電球形蛍光ランプを取り付ける方法を選んだ。

照明器具売り場で探したという



B 温水便座 なし
  私が使っていた器具を9月末に移設してある。蛇腹パイプと分岐バルブ、大型のモンキーレンチが必要である。
C 洗い桶、洗剤など 私が使っていたものを引き続き使用している。

2.退去時はこの逆である。
  移設した電子レンジ内側の壁部分を拭き掃除し、回転する皿も取り外して磨いた。
  食器類はメラミンスポンジで表面、裏面ともに磨き、乾燥させてから間にスポンジクッション材
  (100円ショップで購入、私が引っ越ししたあとの再使用)を挟んで、プラスチック製の衣装ケースへ格納した。
  代わりにキャンプ用のプラスチック食器を持参している。

  衣類は折り畳み式の衣装ケースへ格納
  
長男の日常使用衣料品はプラスチックケースのまま引っ越ししているという。

3.暖房用具は 備え付けのエアコン1台のみ エアコンがない部屋ではホットカーペットが役にたった。
  私は短期間に2回目の引越し作業となる。
   荷造り紐・ガムテープ・クッション材・段ボール箱ほか繰り返し使用可能なものは盛岡への引越しのあと整理して準備してあった。


ドライバー・モンキーレンチ・カッターナイフ・サインペン・鋏・ごみ袋・軍手などはまとめて段ボール箱に入れ、
探す手間を最小にした。衣類かけなどの組み立て家具はドライバーやモンキーレンチが必要となる。

整理した部屋に掃除機をかけ、梱包した段ボールに中身を記載して、部屋の隅や押し入れに積み重ね、整理と未整理を明確に区分しておいた。


24年12月19日(水)
08時半に盛岡を出発した。目的地は新潟市。長男が4ヵ月住んだアパートを退去するので手伝いに行く。
盛岡南ICから高速道路に乗り北上経由で横手へ出るか、いつものとおりつなぎ温泉から鴬宿・沢内に入り湯田温泉郷を通って横手へ出るか決めていない。
できれば高速道路ではなく一般道を走りたい。天候を見ながら走り出し、青空も見えるので好きなつなぎルートにした。
このルートで渋滞にあうことは全くないが、途中は豪雪地帯を通る。
沢内あたりで雪が降ってきた。40kmで走行する。後続車も対向車も少ない。
秋田県横手市のさんない(山内)道の駅で休憩した。





産直売場を一回りしたが、10月以降何回も寄っているので買いたいと思うものがない。
湯沢横手道路に乗る。無料区間を走り「道の駅おがち」で休憩して国道13号線を山形に向かって走る。
このルートは9月以降4回目の走行であり、トンネルやスーパーマーケットなど頭に入っている。
途中吹雪にもあったが晴天もあり、渋滞はなく順調に走る。


昼食は「なか卯」に寄ろうと決めていた。なか卯はうどんがうまい。
店の数が少なく盛岡から新潟までの間に「なか卯」が国道に面しているのは山形県天童市だけ。
14時半に到着した。カウンターで「メニューをゆっくり見させてください」とおねえさんに話し、メニューを見る。
500円の優待券があるので500円以上でなければならない。うどんではなくダブルカツカレーを注文した。
カツカレー490円+トッピングカツ100円 計590円のダブルカツカレー。

期待に反してカツが薄くて小さくがっかり。スーパーのハムカツよりも薄いというか整形カツなのか。まあ値段だけにしょうがないと諦める。


山形県内でお弁当屋さんの「ほっともっと」に寄り、平日割引の「海苔弁当」を二つ買う。
平日の15時前は海苔弁当が270円であり、岩手県は「ほっともっと」の店が1つしかなく「ほっかほっか亭」である。

山形県南陽市から新潟県に向かう途中からまた雪が降り始める。
いつもは賑やかな「道の駅いいで」も閑散としている。小国は吹雪だった。速度を下げて慎重に走る。
新潟県に入り「道の駅せきかわ」を過ぎてから雪が止んで長男に連絡、アパート直行ではなく長男の事務所に向かった。
19時前に長男と合流した。
現場事務所は撤去作業がほぼ終わっておりがらんとしている。
私物を積んで長男アパートに向かった。
夕食は「ほっともっと」の海苔弁当である。
私だけ発泡酒を飲みながら引っ越しについての打ち合わせを行う。
@ 使っていない部屋の寝具類を梱包する。
A 使わないと思われる台所用具を梱包する。
B 家電製品を清掃する。
長男は仕事の片付けでアパート片付けまでは手が回らないようだ。



24年12月18日(火)
日曜日と月曜日で年賀状の宛名を手書きした。
久しぶりに万年筆にインクを入れたのだが、もともと上手くない字が
より下手に見える。上手に見える万年筆もあるがインク供給が細くて、
書いていて疲れるのだ。結局は水性インクのボールペンに戻った。

18日は忙しかった。
@ 運転免許更新
A 岩手県立図書館
B 医者と薬局
C 尾入温泉 水彩画配達

明日19日から新潟の長男アパートの退去手伝いに行く。
その前に運転免許を更新した。30分間の講習で済んだ。
盛岡の運転免許センターは盛岡駅に隣接している。
私には時間がたっぷりあるし、駐車場料金がもったいないので、
歩いて出かけた。40分ほどで着いた。15番の札をもらった。
そのあと、同じビルの2階にある「自動車安全運転センター」で
「SDカード」の申請をしてきた。630円払って申し込んだ。
SDカードは2年ごとに更新し、運転免許証と一緒にいつも持ち歩いている。


同じビルにある「岩手県立図書館」で貸出カードを作ってもらった。
見たい本をパソコンで探したが、県立図書館にもなかった。
団 伊玖磨 ( 「 追跡 ムソルグスキー 『展覧会の絵』 」である。
中古本でも23000円する。見たい。
この番組はNHKで20年ぐらい前に見ている。その後に本になった。
「展覧会の絵」の曲は たいがいの人が知っている。
私が好きなものは、そのなかで「古い城」である。
「展覧会の絵」の曲にはそれぞれ名前がついている。
どんな展覧会であったか、どんな絵が出品されたかを
団 伊玖磨氏が旅をして解明する番組だった。

テレビでは、古城はイタリアにある中世の城だったと記憶している。
この番組のあと 展覧会の絵のCDを買っている。

盛岡駅から盛岡城跡公園の前を通り、下の橋を渡って医院に寄った。

開運橋から北上川


上流に岩手山 道路(五叉路)の反対側から撮影した

この医院は住宅街の中にある大正時代の建物で、院長は女医さん。
2回目の通院であり、生活習慣病の薬を処方してもらった。

昼食は盛岡暮らしで初めての外食である。
盛岡市にも新潟市と同じようにラーメン屋さんがたくさんある。
私は幼児のころから中華そばを食べて育ったそうだ。
いざ 探そうとしても最初に行った店が「定休日」
別にラーメンでなくてもいいのだと思いながら、昔から営業しているお店を探した。
私のお店探しはむずかしい。結局歩いたところにラーメン屋さんはなかった。
盛岡バスセンターに近づいたとき、「バスセンターのカレーライス」が頭に浮かんだ。
新潟バスセンターのカレーライスは有名だ。このページ 9月26日に写真がある。
盛岡バスセンターにもカレーライスがあった。500円だった。

新潟と違って 特色がない普通のカレーライス
ボリュームは十分だ。肉が数個入っていた。
13時まで時間をつぶした。

次のミッションは「尾入温泉 水彩画配達」
御所湖の湖底に沈んだ尾入温泉の水彩画 9枚を所有していた会社に見せたい。
盛岡市役所の近くにある この会社の営業窓口を訪ねた。
要件の切り出し方が難しい。40年あまり会社員をしていた私にも難しい訪問だ。
第一、要件の目的がないのだ。それに45年前の過去のこと、受付の女性社員は当然知らないはず。

「むかし 御所湖ができるまえに つなぎ温泉の手前に保養所がありました。
 とてもきれいなところで、その保養所の水彩画を描いたので 見ていただきたい」
女性社員はかしこい人で、持ってきた初老の風采のあがらない恰好をしたおじさんに
「おかけになってお待ちください。いま担当者を呼びます」
ちょっと経ってから 管理職らしい誠実な顔をした人が名刺をもって現れた。

「9月末に定年退職し、以前からやりたかった水彩画を描きました。
 最初の題材は つなぎ温泉の手前にあった尾入の保養所です」と9枚を取り出した。
私の相手をしてくれた管理職は「私も泊まったことがあります」と じっと絵を見つめてくれた。

9まいのうち 1枚だけ 「尾入の水車小屋」


そうなれば 話は早い。9枚の絵を説明し、同時に7枚の「思い出の尾入荘」のレポートを預けた。
以下、省略。

持って行って良かったと思いながら肴町(アーケード商店街)を通って帰宅した。
途中 みかわや で冬物の下着、靴下を買った。
直後 仙台市の妹から電話が入った。
要件は 尾入荘で管理人をしていた人の娘さんに「9枚の絵を今日届けた」報告だった。
この娘さんは私の妹と同じ高校で同じ学年であり、妹と交流があったのだ。
仙台市に住んでいるという。直接会って渡したとのことである。
たいへん喜んでくれ、管理人をしていたおかあさんには来春に見せるとのことだった。
同じ日に2つ 私が考えていた
「尾入荘の絵を 管理していた家族に見せたい」という目的が達成できた。


24年12月15日(土)
この4日間で懸案事項を3つ片づけた。
@ CO2モニター報告書
A 年賀状作成
B 水彩画 新作完成

@番目は以前住んでいた都市のCO2モニターを23年度に行っていた。
区役所に「モニター募集」のパンフレットがあり、応募して24年2月末までに
前年度の報告書を集計し送っていた。
市から御礼と24年度の継続用紙も入っていたので継続した。
使用する電力、ガス、水道、ガソリン・軽油、灯油の月間使用量(購入量)を集計し
所定の用紙に取りまとめて報告するものである。
24年9月までいて、最後の使用量兼領収書が盛岡に届いていた。
他のデータは都度すべてファイルしてある。
前年と比べて24年8月と9月は猛暑でクーラーを使った数値が出ている。
ガソリンは川越や盛岡に遠出する回数が前年度から増えた。
23年は電力制限/省エネということで私もそれなりに使用する時間を減らすなど
対応を図ったが、24年は全体的/社会的に下回った感じがする。
9月末までしか集計できなかったことをお詫びして、集計表を送った。
けっこう面倒な仕事であった。

A番目は 24年の年賀状は喪中で出さなかった。
25年は仕事が終わったこともあり、範囲を狭めた。
改めて住所リストを作った。
年賀状のデザインはこれまでのものを継承することにした。
「私の写真館」というテーマで、年間に撮りためたたくさんの写真の中から
6点を選んだ。6点に絞り込むことも難しかった。もっと載せたい写真があった。

B番目は 「尾入温泉シリーズ」が9点完成したので、
しばらく描くテーマがなくて止まっていたものである。
今まで描きたかった新テーマに取り組んだ。
今までになく日数がかかった。それでも1週間で完成した。
少しうまくなったように思っている。
描き始めたころよりも技術が向上した。

グーグルでもヤフーでも「尾入温泉」がヒットするようになった。
最初の目的は達成できた。45年前の風景を画用紙の上に再現できた。
しかし、反応は予想していたとおりゼロである。
尾入温泉を知っている人は限られており、それなりの時間が経っているので
当然といえば当然のことであるが、寂しい。


24年12月11日(火)
昨日、新潟市の選挙管理委員会から書留で不在者投票の用紙が届いた。
私が盛岡市に転入した日は10月1日 まだ3ヶ月経っていないので
新潟市から案内がきた。すぐに同封の葉書で連絡しておいた。
その不在者投票の用紙をもって盛岡市役所に行った。



中津川

不在者投票の場所で、新潟市からの封筒を出して手続きした。
不在者投票所の一番奥の机に通され「しばらくお待ちください」
係りの人から一連の説明を受け、投票した。
投票用紙を小さめの封筒に入れ、さらに「選挙区選挙」と「比例」の
それぞれの封筒に入れて封をする。選挙立会人が封筒に署名して私の投票が終わった。

帰り道、同級生の喫茶店に寄った。

青空 雪が解けかかっている。
候補者名を連呼した選挙カーがあとから追いかけてきた。


香り高い珈琲をいただいた。同級生は不在だった。


24年12月10日(月)
早朝に新聞を取りに玄関を開けた。新聞休刊日だった。
ラジオ体操に出かける前に、コーヒーを飲みながらホームページに新しい場所を設けた。
エコノミー料理である。
焼き麩の端、食パンのミミ、大根の皮、豆腐製造時の副産物、
稲庭うどんのかんざし、曲がったキュウリ、潰れたタラコなど
楽しい料理材料がたくさんある。

ラジオ体操は、氷点下の中を盛岡城跡公園に通っている年配者ががんばっている。
私も完全装備で、靴下を2枚履き、ゴム長+毛糸の帽子+マフラーで
厚手の手袋をして通っている。
今日はすき家の割引の最終日だ。8時前に行かなければならない。
体操が終わってから車で出かけ、お弁当を買ってきた。



24年12月 9日(日)
ヤマト運輸の営業所に行く用事があった。
盛岡の本格的な雪道を走行するのは10年ぶりだ。
新潟市周辺の雪道には慣れているが、盛岡は雪よりも凍結路面が心配である。
慎重に運転した。
途中寄ったスーパーで特売品の新巻を買った。小さめの鮭である。
首から縄を通して吊るした。柿を吊るしたり鮭を吊るしたり
田舎暮らしは楽しい。

新潟にいるときは大根を干した。
ときどきやってくる猫が触らないよう、場所を選んだ。
格好の場所を見つけ、釘を打った。
もう一匹分 場所が空いている。


24年12月 8日(土)
大雪だった。
早朝は降っていなかったが、どんどん本格的な雪が降り始め
25センチの積雪になった。
市内中央部にある中津川の、中の橋下河原で鮭祭りが開かれた。
ラジオ体操のとき、河原のテントを見てきたので10時過ぎに着くよう出かけた。

雪降りの中津川原


民謡ショーも開かれていた

新巻鮭は1kg 1400円 3`前後あるから4千円〜
100g 50円の茎わかめと 3つ100円の秋田県男鹿半島産もずくを買ってきた。

午後からホームセンターにゴム長と防寒靴を買いにでかけた。
我が家は表通りに面した玄関と、小学校に面した通りの二つの出入り口がある。
車は小学校に面したところに留めてあるので、両方にゴム長を用意した。
これで大雪のときでも車の雪おろしができる。


24年12月 7日(金)
積雪で道路も凍結している。長靴が必要だ。
ラジオ体操に出かけることをあきらめた。



南天

ラジオ体操に行く時間(06:15自宅発 徒歩)気づくことがある。
カラスが集団でこの時間に出勤するのだ。
毎日 カラス軍団とすれ違う。私は地上 カラスは上空。
カラスはどこから来るのかと気になった。盛岡城跡公園に着いても、カラスは遠くから飛んでくる。

台湾旅行時、ガイドの謝さんがおもしろいことを言った。
「台湾でカラスを見ないでしょう。私が台湾の観光客を東京に案内すると
カラスはどこにでもいます。皆さんの周りにもカラスがたくさんいるでしょう。
台湾ではカラスは嫌われています。カラスは山奥にだけいます」
そのとおり、花蓮から太魯閣峡谷に入ったとき
ガイド謝さんが「みなさん カラスが2羽います」とわざわざ案内した。
我々はさも珍しい鳥を見るようにカラスを探した。

朝食

「夏は辛みそ ぶっかけうどん」 川越のスーパーで11月末に買った。
50円ぐらいだった


熱いうどんにして食べた。濃縮だしつゆ+熱湯を入れた

佐藤忠良の彫刻をパソコンから探した。3枚発見した。

琵琶湖畔 佐川美術館 エスキース


佐川美術館 玄関


釧路市 幣舞橋 道東の四季 夏



24年12月 6日(木)
病院の検査は予約時間の前にあっさり終了した。
帰り道 吉野家で5日発売されたばかりの 焼き鳥つくね丼を夕食用に買ってきた。
干し柿を作った。
皮を剥き、熱湯消毒して串にさした。
干し柿用の切り方ではなかったので、いろいろと工夫した。
以前 新潟にいたとき 干し大根の「干し方」を研究したことがある。
その経験が生きた。地方ごとに干し方が違う。何種類もある。
柿は縦につるす方法、横に串刺しする方法など、売り物には美しい方法がある。
我が家は自家用だ。干すことができれば何でもいいのだ。
昔 1袋10円で買った 豆腐田楽用の竹串があった。それを使った。


外は雨なのでとりあえず室内に干す


この方法が一般的だ。切るとき枝を残さなければならない。

大量の柿がぜんぶ片付いた。でも食べ物になるかは分からない。
「初めての柿の料理」をした。
理論的には間違っていない。熱湯消毒もしっかり行った。

夕食は「野菜炒め」「三陸産漉き昆布の煮物」「蕪の漬物」「焼き鳥つくね丼」
吉野家 つくね丼の論評は控えておく。


24年12月 5日(水)
この日から毎日のように盛岡赤十字病院に行く週である。
9月の退職間際に新潟市で健康診断を行った結果が手元に届き、盛岡赤十字病院に持って行った。
10月、11月は諸行事や旅行があり、すべて終了した時から病院週間を設けていた。
あいにく積雪であり、車の除雪やガラスの凍結解除に時間がかかったが予約時間に行った。
終わってから 病院の食堂を見てきた。定食類もある。本日の日替わり麺もある。
いつか食べて写真を撮らなければならない。
検査のため朝食は食べることができず、昼食もパスした。この日ばかりはやむを得ない。
帰ってから時間がいっぱいあったので、同居している姉と柿の始末に取り組んだ。


アルコールを使うことにした。
2軒目のスーパーで、柿用のアルコールを売っていた。
ほしいところだったが、使うのは僅かだ。代用品を使うことにした。
手持ちのお酒は
焼酎甲類   20度 いっぱい残っている
菊水原酒缶 21度ぐらい
本格焼酎長寿庵 25度 もったいなくて
スコッチウィスキー 40度 これを使うことにした
柿のへたがつかる程度のサイズのガラス鉢を用意した。
2/3ぐらい へたをウィスキーに漬けて、タッパーウェアの大型容器に密閉した。
4〜5日置いてみる。まだ1/3柿が残っている。明日に回した。

姉がチキン南蛮を食べたいと言う。鶏胸肉で作った。

タルタルソースは自家製のキュウリピクルスを使った。
玉子は めんこい美術館に行くとき、道の駅で買った10個100円が残っている。
本格的に作ったらうまかった。


24年12月 4日(火)
前日 シライシパン アウトレットショップで買ったホットドッグ用のパンが2袋ある。
私が好きな「魚肉ソーセージのホットドッグ」を作り、姉のお店に配達した。
魚肉ソーセージはいつでも買い置きがある。キャベツもある。
タイヤ交換のお礼だ。

1本ずつラップに包んで持っていった。「お好みでケチャップと芥子を」

姉が「お店のお客さんから渋柿を大量にいただいた」という。
このままでは渋くて食べることができない。
東北の柿は、果物としての栽培ではなく柿渋を取るために植えられてきた歴史がある。
柿渋から「番傘」「うちわの塗料(渋うちわ 焼き鳥屋さん)」「防水性の和紙」などの塗料を作る。
柿渋に含まれる可溶性のタンニンを不溶化すればいい。
柿に含まれるタンニンが無くなるのではない。舌にタンニンが感じなければいいのだ。
さて、我が家では誰も柿渋を抜く方法を知らない。
と言うよりも、今まで渋柿をいただいた事が無いだけの話。

私は10年間 新潟で暮らしていた。秋になるとスーパーや酒屋に柿渋を抜く材料が並ぶ。
新潟では渋柿を甘柿にすることを「さわす」と言う。
集英社 国語辞典「さわす:A かきの実の渋をぬく。あわす。」
産直売り場で柿を売っている場面で「さわしてあります」と手書きで表示されている。
姉に「私がやってみましょう」と言い、全部預かってきた。

大きなポリ袋にいっぱい入っている。

ちなみに私は京都で学生していたころ 雨の日は番傘を差していた。
もちろん盛岡で買ったものだ。番傘には特有の香り(におい)がある。


24年12月 3日(月)
私が新潟から引越しをして、盛岡の家の家財道具が増えた。
新旧入れ替えをしたので廃棄することになった「粗大ごみ」を
盛岡市クリーンセンターと盛岡市リサイクルセンターに持ち込んだ。
新潟市でも川越市でも、盛岡市も廃棄物処理施設の現場の係りの人は親切に教えてくれる。
私もよく御礼をしてきた。段ボールや納戸の中にあった灰皿、昔私が使っていたストロボなど。

11時前 川越の次男からSOSが入った。
気に入っている旧タイプのローバーミニ(ロンドンオリンピック開会式でMr.ビーンが乗っていた)が
故障し、盛岡にある私のインサイトを取りに来たいという。
「新幹線で宮城県古川駅まで来なさい。そこまでインサイトを運ぶ」と指示した。
川越:盛岡間は約540`ある。1日での往復はたいへんだ。
「何時ごろ 古川に着くのか」と次男 私「今から2時間後」
「そんなに急がなくてもいい」と次男 16時に古川駅で引き渡すことにした。
川越の妻のところに行く盛岡りんごなどを積んで出発した。
古川駅到着まで4時間ある。時間調整をしながら国道4号線を南下した。
おもしろい店があった。


シライシパン アウトレットショップ


50円〜100円


ホットドック用 100円

途中のスーパーで弁当を買った。お酒も売っていた。
秋田産1升瓶のにごり酒 1050円 お正月用にインサイトに積んだ。
途中でインサイトのカーナビに JR東北新幹線 古川駅をセットする。
インサイトのカーナビは不親切だ。いつもそう思う。
「ジャンル」「交通機関」「駅」「新幹線」「県」「市町村」の聞き方である。
東北新幹線 古川しか知識がない。古川駅は宮城県だが何市にあるのか
知っている人は少ない。私も知らなかった。大体の見当をつけた。
東北自動車道を走っているから大崎市あたりだ。
花巻ICから東北自動車道に乗った。途中平泉PAで弁当を食べる。

古川駅に15時30分に着いた。駅前にどこかで見たような銅像があった。

宮城県にある銅像の作者は「この人だろう」と周りを巡ったら合っていた。


ササニシキ 1987 佐藤忠良


佐藤忠良 ササニシキ

約束の時間に次男が新幹線で着き、キーを渡した。
次男が盛岡までの新幹線切符を買ってくれるという。
「私には時間がいっぱいあるから」と乗車券だけ買ってもらった。
ちなみに古川:盛岡間は乗車券、新幹線特急券ともに2520円 同額だった。
2520円の切符で 各駅停車の旅をした。
古川から陸羽東線で小牛田へ、東北本線に乗り換えてで一関へ 3本乗換えする。
一関駅での待ち時間が長かった。
一関から普通列車に乗るのは初めてだ。
一関 山ノ目 平泉 前沢 陸中折居 水沢
金ヶ崎 六原 北上 村崎野 花巻 花巻空港 石鳥谷
日詰 紫波中央 古館 矢幅 岩手飯岡 仙北町
仙北町駅で下車し、北上川の橋にかかる明治橋を渡り、歩いて帰った。
二枚橋駅は「空港と温泉がある駅 花巻空港」と変わっていた。


参考までに

佐藤忠良 レイ 1980
大阪市御堂筋 彫刻ストリート

もう一枚琵琶湖の佐川美術館で撮影した 佐藤忠良 エスキースは
旧パソコンに保管していて探せなかった。


24年12月 2日(日)
離職して盛岡に戻ったあいさつ状(はがき)を ほぼ書き終えポストに入れた。
最初は「晩秋」で出していたが 何日もかかったので「初冬」に変えた。
50円切手で適当なものがなかったので、手持ちの切手を各種使った。
50円切手が無くなったので、62円の記念切手にも出番がきた。
なんとか手持ちの切手で間に合った。
子どものころ記念切手を集めていた。5円と10円だった。
手紙は62円になり、80円になった。
日本の記念切手は昔のわずかなものを除いて値段が上がっていない。
売ろうにも額面割れである。
私が使った62円の切手は「日本農業研究100年」 イネの花が図柄である。
記念切手は取っておいても何もならないことに気がついていた。記念切手は使うものである。
でも、日本郵政は記念切手や特殊切手を発行しすぎである。
私は80円切手を使う機会が著しく少ない。第一 手紙を書く機会が激減した。
パソコンのメールは無料で、即座に相手に届く。郵便は数日かかる。
50円切手は旅先での絵葉書やお礼状によく使うが、50円の特殊切手は少ない。
いつも郵便局で「50円のきれいな切手はありませんか」と聞いている。


24年12月 1日(土)
師走になった。
ラジオ体操のあと、車で神子田(みこだ)朝市に行った。
りんごのシーズンである。林檎と漢字で書くとよけいイメージがわく。
サンふじを箱入りで買った。
北斗は家庭用売れ残りが気になり、戻って買ったら生産者のおばさんが
「これだけになったので、200円まける」と自分から言い出した。
ありがたくおつりをいただいた。

蓑干し南蛮も3パック買った。
りんご発送用の箱は用意してある。新潟にいるとき梨用に買ってあったクッション材もある。
さゆりちゃんの東京のおばあちゃんに送った。
りんごの生産量は1位 青森県 2位 長野県 3位 岩手県である。
盛岡市近郊の丘陵地帯にもりんご園がたくさんある。

その足で、セルフスタンドのガソリンスタンドを探した。国道396号線(盛岡市:遠野市)を走る。
インサイトではなく姉の4DWダイハツストーリアに乗っている。
遠出をしていないのでガソリンの減りは少なく、私が乗り出してから初めての給油である。
「給油口が右か左か、給油口をあける方法は」など前日に姉とりんご屋さんに行ったとき聞いておいた。
初めての車は給油口を開ける方法がばらばらだ。
私も長男からインサイトが戻ってきたとき、給油口の開け方を忘れていた。
インサイトには車内からのスイッチが無いのだ。

セルフのお店はあるが私が期待する値段のスタンドは見当たらない。
紫波から国道4号線に出たところに、新潟市でよく利用していた大きなスタンドがあり給油した。
4号線を盛岡に戻るついでに、大きな食材スーパーに寄って「油揚げ」(注 後日解説)ほかを買った。


24年11月30日(金)
姉を連れて水沢市の「めんこい美術館」を訪ねた。常設展が「佐々木精治郎」である。
ここに行けば絵の手掛かりが得られそうなので訪ねた。



水沢市 めんこい美術館

2枚の油絵を風呂敷に包み、受付の女性に 「かくかく しかじか」と私。
美術館受付の女性は私の来訪を絵の管理者(離れているお役所らしい)に電話で伝え、指示をえる。
ロッカーから年表ファイルを取り出して、1925年に画伯はどこに行ったかを調べてくれた。


(許可を得て撮影しています)


大正13年(1924年) 39歳 九州福岡市で個展
  3月から9月にかけて中国写生旅行 と記載されていた
我が家の2枚の油絵には
Seijiro Sasaki  1925 と赤のサインが入っている。87年前の絵である。

この絵である。


もう1枚は、「水の蘇州」のような、運河と舟、遠景の塔があり中国の水辺の風景画だ。
めんこい美術館で謎が解けたので、花巻市のマルカンデパート大食堂に寄った。


姉が注文した にぎり 660円


私が注文したカツカレー 550円
姉に110円負けた。合わせて1210円
カツカレーの量は十分だった。この量でこの値段。
また行かなければならない。

帰りの車での姉
「にぎり のショーケースの離れたところに 上にぎりと特上にぎりがあった
 にぎりしか見えなかった、しまった」と笑っていた。
「では次に行ったとき」と私。名物のソフトクリームは食べる余裕がなかった。


24年11月29日(木)
きのう発見した「佐々木精治郎」の絵(ベニヤ板にキャンバスを張ってある)を風呂敷に包み
盛岡市本町通りの画材店を訪ねた。この画材店は高校生のころよく通ったお店だ。
風呂敷から絵を取り出して額装をお願いした。
ご主人と一緒に額を選ぶ。高価なものではなく、かつ絵と掛ける場所に合わせなければならない。
3枚目にようやく気にいったものが見つかり、お願いしてきた。
「岩手県の草分けの画家ですね」と さすが画材店のご主人。
午後から引き取りに行ってきた。

仙台の妹が訪ねてきて、盛岡市内に住む長姉も来て、絵を見せた。
「1925年の風景画 親父さんが昭和30年後半にどこかから買ってきたもの」と説明した。
私は父親がこの絵を買ってきたことを覚えている。


24年11月28日(水)
盛岡自宅で引越し後片付けを続けている。
長旅に出る前に注文していた組み立て式の木材が届いていると連絡が入っていた。
納戸の棚を組み立てる木材だ。その木材をホームセンターに取りに行った。
平成3年秋に新築した実家では、GW、お盆に来る程度で暮らしていない。
納戸の物を廊下に出して、「不要な物」を処分しているが、不要な物の大部分は
私が高校生のころに使っていた道具類だ。
一旦全部廊下に出した。私の道具類が次から次へと出てくる。
高校生のころ描いていた油絵がある。キャンバスのうしろにいたずら書きをしている。
高校3年生のころ、岩手県芸術祭に油絵を出品している。美少女の紫の絵だ。
そのほかに模写した絵がある。上手に描けている。
ということは、高校3年生のころ、受験勉強していないで絵を描いていたということだ。
絵を描かないで「もっと勉強していれば」と今さら思うのだ。でも、上手だ。

1925年のサインがある「佐々木精治郎」の4号の油絵が出てきた。額に入っていない。
1枚は額に入れて我が家のミニギャラリーに掛けてある。もう1枚あったのだ。


24年11月25日(日)
5月に接木したウコギの鉢を車に積み、10時に川越自宅を出発した。
圏央道で鶴ヶ島ICから入り、川島ICで下りる。
せっかくの機会なので以前から行きたかった栃木県足利市の「足利学校」と「鑁阿寺(ばんなじ)」に寄る。
鑁阿寺は吉川英治の私本太平記の冒頭に出てくる。
初めて訪ねたが、この2箇所は隣同士だったことに後で気がついた。
足利学校は普段は400円の参観料だが この日は何かのイベントがあり無料だった。
駐車場も道路を挟んだ向かい側にあり、2時間程度は無料とのこと。
駐車場の敷地にあった足利市観光協会の「太平記館」をのぞく。
「手ぬぐいがあるかな」と探しているとインスタントラーメンがあった。
「東京拉麺」5銘柄、帰りに買おうと思いながら足利学校に向かう。

足利学校の玄関前道路


足利学校 前景

内部を見学して戻る途中、漢字検定を行っていることに気づく。






せっかくだから上級コースを選択し申し込んで問題用紙1枚をもらい
テントの中の机に向かう。
書き取り問題は無く、読みと意味、漢字の成り立ちなどの難しい問題が並んでいる。
この年にして初めて聞く言葉もある。私は50年間 毎日新聞をすみずみまで読んでいるのに。

漢字段位試験の説明
挑戦できるのはお一人さま一回のみとさせていただきます。
@受付で挑戦するコースを選び、問題用紙を受け取ります。
A問題用紙に、必ず住所、名前を記入します。
B席に座り、問題を解きます。
C終わりましたら、問題用紙を採点窓口に提出してください。
Dその場で採点を行い、得点に応じて段位を認定いたします。
小学生コース 60点以上  80点未満  小学生コース 初段
小学生コース 80点以上           小学生コース 2段
初級コース  60点以上  80点未満   初段
初級コース  80点以上           2段
中級コース  60点以上  80点未満   3段
中級コース  80点以上           4段
上級コース  60点以上  80点未満   5段
上級コース  80点以上           6段
100点満点                  博士号

私にとって久しぶりの試験である。緊張することはない。
解答を考え、再度見直しして提出した。
名前を呼ばれ、結果を通知された。「認定表を印刷しますので少しお待ちください」
結果は次のとおり
「第二十回足利学校さままつり 漢字試験五段を認定します」



うれしい気持ちで足利学校をあとにした。
太平記館でラーメンを買う。

メーカーは「東京拉麺株式会社」 栃木県足利市の会社だった。
6銘柄あるはずが5銘柄しか置いてなかった。
インスタントラーメン研究者としてはもう1銘柄どうしても欲しくなる。

鑁阿寺にも多くの参拝客がいた。

あちこち参観した。昼食を食べ損ねた。


24年11月23日(金) 勤労感謝の日
居間でのんびり読書しながら過ごした。
働いていない身で勤労感謝の日はいささかつらい気がする。
風呂場の湯沸し機の修理手配や一連の事務手続きも終わって、やることが無い。
夕食は久しぶりに近所の「サガミ」に、妻と次男の3人で出かけた。
次男は酒を飲まないので私がビールを飲むことができる。
サガミはキャンペーン期間中で「おろし蕎麦」と「カツ丼」のセットが1270円だった。
本物の生ビールを飲みながら ゆっくりと食事し、すぐに寝た。


24年11月21日(水)

前日に引き続き、川越自宅の作業を行う。
妻から庭の木を切るように頼まれていた。
「庭の木」と言えば聞こえがいいが、10畳ほどの広さしかなく、
枝がフェンスの外に出てはいけない決まりになっている。
私が植えた「しだれ桜」を切り、以前から植えてあった枝が茂ったモミジほか2本を
ダイナミックに鋸で切り落とした。
盛岡から持っていった「ウコギ」も背が高くなり、トゲが大きくなってしまった。
ウコギも鋸で先端を30センチぐらいトゲに刺されないよう切り落とした。
春になると新芽が出てきて、また繁殖すると信じる。
来年の新芽はぜひ食べたいと思いながら切った。

妻が「インターフォン」の調子が悪いという。室内器をばらして電池交換し、
配線を一旦外して組み直したら復活した。
「台湾紀行」と「銀の匙」を寝ながら読んだ。


24年11月20日(火)
前夜は04時に川越自宅に着いた。
すぐに寝たが、それでも8時過ぎには目が覚めた。
コーヒーを飲みながらノートパソコンをセットする。
川越でもやりたいことがたくさんある。
1.ノートパソコン 東芝ダイナブックの無線ラン開通
2.蛍光灯の掃除
3.布団の入れ替え
4.読んでいないコミックを読むこと
5.5月に接木した「ウコギ」を盛岡に持ち帰ること
6.その他 司法書士事務所との諸手続き
7.司馬遼太郎 「街道をゆく」四十 「台湾紀行」を読むこと
8.次回 台湾旅行の下調べ
退職して時間ができたらやると後回しにしていたことがようやくできる。

旅行用のノートパソコンには無線ランの子機が内蔵されていると長男から聞いた。
最初にそれを行った。回線設定に何回か失敗しながらできた。
居間の蛍光灯を外して掃除したら、円形蛍光管の変え時だった。
近くに新設されたショッピングセンターの電気店で買う。
ついでにもう一部屋 蛍光管を代えた。
川越自宅の居間は太陽光が入り、明るい。日照中は暖房はいらない。
寝っころがって、読書をした。読み始めるとおもしろい。
「台湾紀行」で行ったことがある場所が出てくるとよけいおもしろい。
文字に飽きるとコミック本を見る。
「銀の匙」の第1巻から、しっかりと見る。
北海道が舞台なので、場所も行ったことがあるから、こちらも味わいながら見る。
不明な部分はパソコンで調べながら進む。
(物語の舞台である) 「大蝦夷農業高校の敷地面積は?」
「マ○ロス1機分だよ」と出てくる。
マの次に何が入るのかを調べて納得するのだ。
妻が「だから時間がかかるのだ」と呆れている。

郵便局の隣にある商店街に、地域のコミュニティカフェがあった。
「ハヤトウリ」を売っていた。さっそく買ったが食べ方が分からない。





24年11月19日(月)
新潟のさゆりちゃんちにいる。
さゆりちゃんのおかあさんが「栃尾」に行きたい用事があり、私が案内する。
この日は行かなければならない所が何箇所もある。
SLばんえつ物語号で、車内でもらったスタンプに、沿線の他の場所のスタンプを押す。
1番目は新潟市江南区の亀田製菓直営売店
2番目は新潟市秋葉区(新津)の「新津鉄道資料館」か「道の駅 花夢里にいつ」でスタンプ押し
3番目 長岡市で「洋風カツ丼」
4番目 栃尾で油揚げを買う。その後は道の駅へ。
5番目 帰り道 新津で SLばんえつ物語号 の容器に入った日本酒(注文済み)を引き取る

亀田製菓直営売店で、割れせんべいを買う。時々掘り出し物がある。
この日は大きな1斗缶サイズの段ボールで7箱買った。長男からの依頼品が6箱
運よく掘り出し物があった。
スタンプ押しは 新津鉄道資料館が月曜日休館日 外で写真を撮った。

蒸気機関車時代の踏み切り標識 いまは見られない。


新幹線用台車 昭和40年3月製造

道の駅 花夢里にいつでスタンプを押す。比較的近い。
次は長岡市に行く。

レストラン ナカタ


洋風カツ丼 ランチタイムで 味噌汁つき 600円
新潟市に10年住んでいて、初めて洋風カツ丼を食べる。
今までは一緒に行く相手がいなかった。一人で行くのも時間がもったいない。
妻と私はこれを さゆりちゃん親子は別なものを注文した。

不思議な味だった。長岡の洋風カツ丼の歴史は長い。
最近できたB級グルメではない。
黄色っぽい薄味のソースがご飯とカツの上にたっぷりとかかっている。
カレーの風味はしないが、色はカレーに近く、ドミグラスソースでもない。
かすかにトマトの風味がする。味は濃くない。
ようやく長岡のソースカツ丼を食べることができた。うまかった。
なんとか私のホームページで味を再現したいと思う。
参考資料はまったく無かった。
でも、昔の洋食店で手配できる材料は限られている。
何よりも安価に、大量に作ることができるものでなければならない。
よって ドミグラスソースではなくなる。

栃尾まで走る。栃尾の油揚げ(とちおの あぶらげ)のお店

1枚150円 川越用に3枚買った。
固めの豆腐を厚く切って、大きなフライヤー3つで順番に揚げていた。
栃尾の油揚げは 厚揚げ豆腐ではなく、中にしっかり気泡が入っている。
その後 道の駅 R290に寄り、三条市を抜けて山沿いの道路を新津へ。
予約していたお酒のお店で SLばんえつ号容器に入った日本酒を引き取る。
たくさんのお酒があり、私も眺めていたら石川県の「菊姫」があった。1升瓶を買った。

新潟市北区のアパートにさゆりちゃん親子を送り届け、妻と一緒に磐越道で小出へ。
小出で下りると通勤割引で100`m未満 半額になる。
その後は、国道17号線を川越に向けて走った。


24年11月18日(日)
長男が東山グランドホテルに着いたのは0時30分ごろだった。23時近くまで現場で段取りをしていたらしい。
昨夜は夕食を遅めの19時半にしていたが、間に合わなかった。業務優先だからしかたが無い。
その分、残りの4人でいっぱい食べてきた。
大食堂のテーブル席で夕食バイキング。想像していたものよりも料理の種類が多い。
1.料理人がその場で作るもの
 ステーキ
 天ぷら
2.地元の料理
 ソースカツ丼のセット
 みがきニシンの煮物(会津若松名物料理)
 こづゆ(会津の旧正月料理 地場の冬野菜をちいさく切った煮物 
     新潟の のっぺを思い出す)
 そば
 会津風芋煮
3.チラシで宣伝中
 カニ
4.寿司
 マグロ
 イカ
 タコ
 玉子焼き
 エビ
5.バイキング 和洋中 各種
6.フルーツ類とおかし類 杏仁豆腐など

一品一品しっかりした料理であり、冷凍食品を使用したものは見当たらない。
ビールはサントリーのプレミアム
ゆっくりいただいた。満足する料理だった。また機会があれば行きたい。

6時に長男が起きたので声をかけ大浴場が開いていることを伝える。
私も長男と入れ替わりに朝風呂を浴びる。
5人でゆっくり朝食をいただき、9時半ごろホテルを出発する。

会津若松の鈴善漆器店に寄る。長男の奥さんが寄りたいお店だ。
資料館がありゆっくり見学する。お庭が美しく、カメラを向けた。



前夜に散ったもみじ

お店を出て角に 読めない標識があった。
文学部出身の長男も妻も、私も読めない漢字だった。
「髪」の上半分に 下は 友のところに 「休」
「○の辻」 ぬりのつじ と読むそうだ。

運転手は私に代わる。
予定のとおり湯川村の勝常寺を訪ねる。風が強く雪こそ降っていないが冬の天候だ。
勝常寺の今秋の拝観期間は既に終わっていた。来年4月まで待たなければならない。




この会津の古いお寺に、3駆(3体)の仏像が国宝に指定されている。
銀杏の落葉がきれいだったが寒かった。

喜多方に「喜多方ラーメン」を食べに北上する。
喜多方ラーメンとソースカツ丼がある「まこと食堂」は会津喜多方ラーメン館の近くにある。
会津喜多方ラーメン館でまずお買い物をする。
さゆりちゃんと喜多方ラーメンの試食をした。

ラーメン館のオリジナルどんぶりを買ってきた。420円

小雨が降っており、寒い日だったのだ11時半すぎに まこと食堂に行く。
ふだん この食堂は並んでいるがこの日は並んでいる人が少ない。
すぐに玄関に入った。ここからが待つことになる。
我々の後に 多くのお客さんが並び始めた。タッチの差だった。
部屋が空くまで玄関口で待つ。
ようやく我々5人組が奥の小部屋に案内された。

中華そば   600円  さゆりちゃん


チャーシューメン 900円


ソースカツ丼 950円 スープ付き


ソースカツ丼のスープ 麺・メンマなしラーメンのようだ


ソースカツ丼の肉は厚かった

おいしくいただいた。ソースカツ丼のスープが残ってしまった。
たくさんのお客さんが玄関前で雨の中を並んでいるので、
食べ終わったらすぐに部屋を出た。

喜多方市内を見学する。
いつも寄る「若喜商店」で日本酒を買う。
長男一家が乗る新潟行きSLばんえつ物語号の発車時間までたっぷりある。
無料で駐車できる場所を探したら お酒屋さんの資料館があった。

「大和川酒造 北方風土館」という名前だった。利き酒もあったが本日はパス、
日本酒を買った。同行の一人が飲みたいお酒があったようで、それも小瓶を1本買う。
それでも時間が余るので、喜多方駅の観光案内所に行く。
観光案内所に大きなポスターがあった。私がかねてから行きたいところだった。
喜多方駅から車で10分ほどだという。すぐに向かった。


観光ポスター 会津若松ではなく喜多方市だった


熊野神社 長床 重要文化財指定
観光ポスターのとおり 銀杏の落葉が名物のようだ。
ご近所の方々がお揃いの法被を着て 交通整理していた。
我々は知らずに トップシーズンに訪ねたのだ。

拝観を終えて喜多方駅に戻った。
新潟行きSLばんえつ物語号は30分ほど発車が遅れているとのアナウンスがあった。
発車を待って私と妻はインサイトで新潟に戻った。
カーナビのとおり走行したら すごい山道だった。でもこの道は2回目である。
次回は国道49号線を走ろうと思いながら、暗い山道をゆっくり走る。
対向車は無い。一度 狸が山道を横切った。熊でなくて良かった。

長男からメールが入る。ばんえつ物語号は遅れのため新津駅で運転打ち切りとのこと
長男一家を豊栄駅まで出迎えるため、お弁当屋さん(ホットモット)に行ったり、スーパーに行ったりして
時間をつぶした。
ホットモットで買った「海鮮天丼」はうまかった。喜多方で買った日本酒もうまかった。


24年11月17日(土)
長男アパートに1泊し、8時すぎに豊栄駅から「電車」に乗って新潟駅に行く。
さゆりちゃんとおかあさん、妻と私の4人連れの 列車の旅である。
長男は仕事が終わってからインサイトで会津若松まで来る。新潟と会津若松は
磐越自動車道で約100` 高速道路を1時間ほど走れば福島県会津若松に着く。

早めに新潟駅に着いて、駅弁を4つ買う。
私が予定していた駅弁「海老千両ちらし」は売り切れだった。
さゆりちゃん用に「雪だるま弁当」を、おかあさんと妻はそれぞれご希望の駅弁を選んだ。
私は車内で買うつもりで、新聞を買いに駅構内の売店へ。
490円で豪華に見える「海苔弁当」が目に着いた。新聞と海苔弁当を買う。
ニセビール1本はリュックの中に入っている。寒いから冷やす必要が無いのだ。
ホームで少し待つと、ばんえつ物語号が入線するというアナウンスがあった。
45分ぐらい前にホームに入ってくるのだ。さっそくカメラを準備した。




運転席に乗せてくれる。さゆりちゃんはおかあさんと運転席に乗った。
私も40年前 蒸気機関車に乗って運転(研修)している。
私が入社した会社では蒸気機関車を所有していた。もちろん自社の引き込み線である。


展望車では オカリナの演奏会があった。
曲目は「紅葉」「たきび」「里の秋」「学生街の喫茶店」「旅愁」ほか


雪だるま弁当


会津若松駅に着いた 

まちなか周遊バス「あかべぇ」で鶴ヶ城に行った。

さゆりちゃんは鶴ヶ城天守閣で お侍さんといっしょに写真を撮った。

鶴ヶ城を見学したあと、「ハイカラさん」で東山温泉駅まで。



道の右側には川が流れている。


この雪洞(ぼんぼり)が旅情豊かだ。山の温泉街らしい。
小雨が降っていた。さゆりちゃんはよく歩いた。


24年11月16日(金)
8時半に妻と盛岡を出発し、新潟から川越までの長旅に出た。
17日(土)〜18(日)は、現在新潟市在勤中の長男が、私の退職祝いを会津若松の東山温泉で開催してくれる。
当初長男は佐渡を考えていた。
肝心の長男が多忙で休めるかどうか分らないから
私が会津若松市の「東山温泉で」とお願いした。
新潟暮らしのころ「東山グランドホテル」の折込ちらしがよくはいっていた。
新潟駅から直通のホテルのバスが片道1000円とチラシに載っていた。
東山グランドホテルは最近はやりのバイキング形式のエコノミーなホテルチェーンである。
かねてから乗りたかった「SLばんえつ物語号」が11月17日、18日に運行される。
全席指定席で1カ月前に切符を買ってあった。
蒸気機関車に孫のさゆりちゃんを乗せて往復することも
今回の旅行のテーマである。
盛岡から繋温泉→鴬宿→沢内→湯田温泉郷→横手→湯沢→山形県新庄→南陽市→新潟県胎内市→新潟市のルートである。
混まないこのルートが好きだ。
なにしろ急ぐ旅ではない。
妻を助手席に乗せて安全運転を心掛ける。
途中、秋田県の山内道の駅で休憩する。100円で椎茸詰め放題を行っていた。
椎茸をポリ袋に詰める。
値段が値段だけに形はB級品だ。妻に「小さめのものを」と伝える。
小さめの椎茸のほうが隙間が少なく たくさん入るのだ。(私は経験者)

1番目の目的地は南陽市の「どんぶりごはん亭」 2時半に着いた。
お昼の営業時間は15時までだった。
小上がりに席を取る。
目の前を、先客が注文した山盛りの丼が通過した。うまそうだ。
お茶が運ばれてくる。女将さんのようだ。「いま運んだものはなんという丼ですか」と聞く。
「ゲソの天丼ですよ」と女将さん。
私は「では それを」

ゲソ天丼 これで420円
丁寧に下ごしらえされたゲソが10個 載っている。

妻にはメニューを見て決めてもらう。 「浅草風天丼をお願いします」

1050円



厨房で料理をしていたご主人が私に気づき「先日はどうも」とあいさつしてくれた。

「また寄りたくて、新潟に行く途中、妻と寄りました」
「わざわざ遠回りしていらしてくれ、ありがとうございます」とご主人。おいしく頂いた。
妻は量が多かったようで、残った野菜天の部分を私がたいらげた。

このお店の天丼は、ご飯とタレのバランスが絶妙だ。
それに 取り分け用のお皿がついてくる。
15時を回り、女将さんが入り口の看板を「営業中」から「準備中」に交換した。
ご主人とひとしきりお話しし、帰ろうとすると「今コーヒーを入れているから」と引き止められた。
思いがけなくご主人が入れたおいしいドリップコーヒーをいただいた。
丁寧にお礼して、うれしい気持ちで南陽市を後にした。
また行かなければならない。




24年11月12日(月)〜15日(木)
妻と新潟から運んできた家財道具の整理をした。
平成14年に八戸市から新潟市に引越ししたままの段ボールもある。
八戸8年 新潟10年の家財道具+
私の趣味の道具+料理道具+料理素材+料理道具 一人でだいぶ片付けたが、まだ4割ぐらい残っているのだ。

盛岡実家で引っ越し荷物の整理を妻と一緒に4日間行い、ようやく仮置き場にしていた8畳の床の間が引っ越し前の状態に戻った。
盛岡市の廃棄物処理場に4日間で3回運んだ。増えた荷物の入れ替えである。
古い箪笥を2竿処分したが引出しが残っていた。

古い敷き布団を2枚ほか、新潟から持ってきた新しいものに入れ替えた。
実家で多いものは 私が八戸時代に定期購読していた「サライ」である。写真雑誌は重くて場所をとる。

あとは3人の子供たちがそれぞれ購入したコミックが 私設コミック図書館を開くことができるぐらい溜まっている。
妻の山本周五郎文庫本がほぼ全刊揃っている。妻に「コミックの題名をメモしておくよう」お願いした。
それぞれ別な場所で暮らしている子供たちに処分方法を聞くことにした。売ることは考えていない。
散逸しないよう、まとまって引き取ってくれるところがあれば寄付したい。


でも、手元においておきたいものがたくさんある。
私が小学生のころ少年マガジンで連載していたちばてつや作「紫電改のタカ」
(1963年7月 - 1965年1月)のコミック本(破れている)
子供たちがそろって読んだ小山田いく作「ウッド・ノート」全8巻(1985年3月から)
ゆうきまさみ作「究極超人あーる」全9巻(1985年から1987年)
曽田正人作「め組の大吾」

ちなみに川越の次男の部屋には横山光輝「三国志」が全刊揃っている。

子供たちはその後佐々木倫子「動物のお医者さん」を揃え、
現在は川越に「チャンネルはそのまま」をおいてある。

そして ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」 荒川弘「銀の匙」を揃えている。
もちろん私も川越滞在中は「新刊はまだか」と聞きながら読んでいる。
ちなみにノートパソコンの壁紙は「銀の匙」の乗馬の絵、バックの白樺の木が美しい。
このような水彩画を描きたい。


24年11月11日(日)
作並温泉を出発し盛岡に向かう。帰途は妻を交えた3人である。
地図で見ると作並温泉は仙台市と山形県山寺のまんなかぐらいになる。
帰路は4号線ではなく山形に出て13号線で帰ることにした。
途中「鳳鳴四十八滝」に寄った。広瀬川の上流である。
青葉城恋唄に出てくる広瀬川の上流は、さらに清流で急流で岩を削っている。
すばらしい紅葉が撮れたので表紙に使っている。



東根市に出て、「文四郎麩」に寄り、麩を買った。試食した。
新庄市、湯沢市、横手市を通り岩手県湯田温泉郷のほとりを走り
沢内、鶯宿、繋経由盛岡市に戻った。


24年11月10日(土)
二番目の姉と盛岡を8時半にインサイトで出発し、仙台市郊外の作並温泉に向かう。
一番上の姉が私の退職お祝いの会を作並温泉の「岩松旅館」で行ってくれる。
3時 現地集合である。このところ心がけて高速道路を使わないようにしている。
国道4号線で南下する。なにしろ仕事が無くなった分だけ、時間と暇があるのだ。
途中、水沢の「すき家」で朝食にする。
「たまごかけご飯」200円+牛丼の「中盛り」380円を計画のとおり注文した。計580円を
株主優待券500円分+現金80円で支払った。
「ご飯2つ」「生卵1」「シラスおろし1」「味噌汁1」「中盛の牛丼の上だけ1」という組み合わせになる。
姉はご飯+シラスおろし+味噌汁+牛肉半分
私はご飯+生卵+牛肉半分 と分解した。一人前290円




牛丼2人前では卵と味噌汁とシラスおろしがつかない。
すき家の朝ご飯「たまごかけご飯200円」は安い。価値がある。最近はよく利用している。

川越から新幹線仙台乗り換えで来る妻を仙山線 作並駅まで出迎えた。



ゴリラ山 


まさむね公


創業寛政八年 は 1796年 現在は2012年 226年前


仙山線は単線 作並温泉は仙台市青葉区だった
長姉がみんなの分 表彰状を作ってきてくれた。たのしい表彰状だった。
仙台市在住の「姪っ子三姉妹」より 妹が預かった記念品とおたよりをいただいた。
「またレストラン我が家でのお食事会を楽しみにしてます」と書いてあった。
記念品の中身は、政府の国際会議で使われたという鹿児島産焼酎だった。

私は「尾入温泉」の水彩画を姉と妹にプレゼントした。
岩風呂に行く階段と岩風呂は素晴らしかった。
写真を撮りたかったが「カメラ持ち込みはご遠慮ください」だった。
「瀧の湯」「鷹の湯」「新湯」「河原の湯」 紅葉をみながらゆっくり浸かってきた。


24年11月 9日(金)
昨日の木曜日、バッテリーを新品に交換した姉の車載ラジオ時計合わせをようやく終わった。
カーラジオの時計合わせは難しすぎる。少ないボタンでいろいろな作業に対応するため
説明書がないとできない。
ボタンの長押しや、ボタン二つの同時押しなど、あまりにも難しすぎる。
カーラジオ表面にメーカーや型番がなかったので、まるでパズルだった。
私には幸い時間がたっぷりある。
HとMはアワーとミニッツなので分かるが、それだけ押しても作動しない。
AM/FMボタンを押しながらHボタンを押すと、時間表示が点滅した。
ようやく時間表示を直した。ついでに家中の時計を電波時計に合わせた。

次の写真 盛岡城跡公園(岩手公園)の芝生広場 ラジオ体操の場所である。
同じように見えるが7日と9日の写真 撮影した時間は10秒も違わない。

2012年11月7日 撮影


2012年11月9日 撮影
ユリノキが落葉している。あと数日でユリノキの葉が落ちてしまう。
シャンソンの「枯葉」を思い出した。


24年11月 6日(火)
体操が終わって帰り道、大慈寺小学校の土手におもしろいものが落ちていた。

松かさである。大きい。隣の銀杏の葉と比べる。
「松かさ」ではない。分からない。上に大きな唐松のような木があった。
唐檜 トウヒのようだ。

ついでに

創立八十周年の石碑
私が小学生のころ、創立30年で図書館ができた。

私が卒業してから半世紀以上経った。

姉と一緒の朝食

4日に買った蕪の漬物


パンの耳のフレンチトースト 生のビーツで作ったボルシチ

昨日に引き続き盛岡市のリサイクルセンターに古いタンスを持ち込みした。
昔のタンスは3つ重ねになっていた。昔はトラックではなく荷車で運んでいたから
重ねる設計になっている。横の金具でしっかりと止められる。
昨日も今日も30kgで処理料金は無料だった。家に取りにきてもらうと600円/棹
(タンスの数え方は1棹 2棹である)

台湾の知人からお礼状が届いた。
台湾に烏山頭ダムを作った八田與一のアニメ「パッテンライ」のDVDを送ったお礼状だった。
この方は日本人で、現地で日本語を教えているおばあちゃんだ。
私が送ったアニメDVDを、すぐに生徒と一緒に見たとのこと。
「生徒たちはとても感動して、家族にも見せたいとのこと」
「順番を決めて、持ち帰れるように決めた」
と、したためてあった。私がこのDVDを手に入れて感動し、妻にも見せた。
もっとも良い方法をと考えた結果、「そうだ、台湾の張先生に送ろう」
盛岡に引越ししてから、すぐに航空便で送った。
張先生からの手紙が私の引越しで分からなくなり、張先生の日本語の弟子である私の仕事仲間に託し
勤め先あて「張先生に渡してくれるよう請う」と封筒に張って送った。
仕事仲間はすぐに届けてくれた。


24年11月 4日(日)
ラジオ体操のあと、自宅を通り過ぎ朝市まで歩いた。
日曜日の朝市はさすがに混んでいる。
11月のこの時季、ボルシチに使うビーツを探す目的がある。
ビーツは缶詰で売られているが生のビーツが手に入る場所を他に知らない。
一回りして見えなかったので、もう一回りしたとき、見つけた。3個しか無かった。
「これ ビーツですよね」と私
「蕪漬けに 色っこ付けるのだよ」と売り子(生産者)のおばさん
「旦那さん 何に使う?」
「ロシア料理のボルシチを作りますよ。生のビーツが手に入るのはここだけですよ」と私
盛岡では、白蕪の漬物にビーツで赤色に染めているのだ。
飛騨高山の赤蕪の漬物は有名だが、新潟でも赤蕪は売られている。
盛岡で売られている蕪は表面だけ赤く、中は白い。
1個買った。100円を支払うと おばさんが
「今年はなかなか大きくならなくて、枯れそうだった。一生懸命水をかけてようやく収穫した」
「それはそれは ご苦労様でした。ビーツが欲しくて探していたら やっと見つかりました」と私
「これ 旦那さんにおまけ」ともうひとつくれた。ありがたくいただいた。


ビーツ 残りの2つは私が買った。


自宅台所で撮影


赤カブ 中は白い 100円


また食パンの耳を買ってきた。100円


24年11月 3日(土) 文化の日
盛岡城跡公園の紅葉が進んでいる。落葉も多くなった。
朝が寒くなったので薄めのジャンバーを着てラジオ体操に通っている。
10月6日の日記に書いた落ち葉 「ユリノキ」という高さ30mを越す大きな木の、葉っぱだった。


ユリノキの並木と中津川 朝日が美しい。


ここの芝生広場でラジオ体操をしている。


ユリノキの本数を改めて数えた。合計37本あった。
とても高い木である。

「尾入温泉」の水彩画を このホームページに組み込んだ。
ご覧いただければうれしい。

午後から姉を連れて八幡平市に出かけた。自宅から約40kmある。
八幡平市松尾歴史民俗資料館で、松尾鉱山の思い出の写真展を開催している。
私が5歳ぐらいのころ祖母に連れられて、松尾鉱山で働いていた親戚を訪ねたことがある。
松尾鉱山は 東洋一の硫黄鉱山として栄えていた。昭和44年に閉山した。


歴史民俗資料館の前に 松尾鉱業鉄道で使われていた電気機関車が保存されている。
昭和26年製造の 東芝製。私より1年年下の電気機関車だ。

盛岡市を流れる北上川は、私が高校生のころまでは「赤い川」だった。
松尾鉱山の鉱山排水の影響だった。
今の北上川は赤みが無くなり普通の水の色になった。


24年10月29日(月)
台湾旅行の最終日となった。ホテル出発は8時40分
前夜 夜市で遊ぶ人がいるため、初めて遅い時間の出発だった。
故宮博物院に行く。2時間の見学である。
今回のガイドは 2時間しっかりと詳しく案内してくれた。
最も有名な「白菜」と「豚の角煮」は中国からの観光客が多く、最後に回ることとなった。
中国人の観光客は行儀が悪すぎる。
「騒がしい」 「割り込む」 「並ばない」 「大声で話す」 困った人たちだ。
グループごとに並ぶ。我々グループに割り込んできた中国人観光客と我々のガイドが
大きな声で言い合いをした。

また免税店に寄った。今回は民芸店ではなく高級ブランドが並ぶお店である。
我々夫婦は全く及びでない。何も買うものもなく、見るものもない。
今回の旅で5回目のお店めぐりだ。パック旅行なので仕方がないと思いながら、
次回 台湾に来るときは、パックではなく単独行動で、お土産屋さんではなく
スーパーマーケットに寄り、台湾の人々が普段買うものを見たいと思った。
2年前に台北を訪問したとき、普通のスーパーで2回 買い物をしている。

バスの中で、旅行会社のカメラマンが故宮博物院で撮影した記念写真を配る。
いつものことだ。「2000円ぐらいかな」と思っていると500元 1400円
2枚挟んである。日本だと1枚 1000円である。妻が「記念に買ってもいいよ」と言う。やっぱり買ってしまった。
昼食は台北市内の「梅子餐廳」 台湾料理である。
台湾ビール1本を頼んだ。 150元
このお店のデザートは別注で「杏仁豆腐」か「マンゴープリン」から選ぶ。
もちろん注文しなくてもいい。妻はマンゴープリンを頼んだ。60元 170円
「これでマンゴー 完全制覇」と喜んでいる。
そういえば 高雄で「マンゴージュース」 タロコ渓谷で「マンゴーアイスクリーム」
台北で「マンゴープリン」 
台湾の女性の友人から8月に私のところに届いた「フレッシュ アップルマンゴー」も食べている。
私が川越に住む妻に送った物を大人食べしているのだ。

台北松山空港でガイドと全員が握手してお別れした。
帰りもハローキティの飛行機だった。

以上で「私の日記」台湾旅行記を終わる。

台湾で食べた果物類
スイカ
スターフルーツ
メロン
パッションフルーツ
オレンジ
トマト飴
蓮霧(ワックスアップル)
パイナップル
バナナ
マンゴーアイス
  〃  プリン
  〃  ジュース

台湾で毎日食べていた料理
キャベツの炒め物
毎夕食 4回
昼食時 2回
朝食   1回 (ホテルの朝食用料理バイキングの大皿に盛られていた)
 計   7回
季節料理なので仕方がない。以前 業務出張の時(6月下旬)は、空芯菜炒めを毎日食べている。
この料理はうまかったので、目下研究している。3回目で満足できる味になった。

※ 「月落ちて 烏鳴き 霜は天に満つ」の作者は張継だった。


24年10月28日(日)
ホテルの朝食は6時から開いている。
花蓮のホテルをバスで7時半に出発した。今日はタロコ渓谷の観光である。
途中 大理石工場を見学する。大理石工場はバス会社の経営であった。
大理石は重く、買いたいものはなかった。キャッツアイ(猫目石)が特産品で名物だという。
今さら表札を買うつもりは無く、妻も今さら宝石類はいらないという。
買ってあげようと大金を持って行ったのに。
念願のタロコ渓谷を観光する。規模が大きくてカメラに入りきらない。

右側 山のところに観光バスが見える。中国人の観光客が多かった。


工事殉職者の廟


国立公園の案内所近くで休憩する。
マンゴーアイスクリームを二人でいただく。150元 420円相当
量が多く、2つ注文しなくてよかった。スプーンを2個つけてくれた。
お土産にしたい日本製の時計がかけてあった。

メロディ掛け時計
 風の谷のナウシカ
 海の見える街
 隣のトトロ
 君をのせて

「写真を撮れなかった人は絵葉書をどうぞ」とガイド 100元 もちろん買った。

花蓮駅から特急列車「太魯閣号」で台北まで。
昼食は駅弁、駅のホームで台湾ビールの缶を買う。330mlで35元 100円もしないのだ。

駅弁


豚肉の駅弁 うまかった。妻も残さず食べた。
この箸が気に入っている。台湾の割り箸である。
ホットモットの弁当と同じような箸である。

台北に着いて、お茶セミナー 30分ぐらいお茶の説明を聞く。
私は数回 お茶屋さんで説明を聞いているが今回はしっかりとメモした。
台湾のお茶の種類は多くて、違いが分からない。
仕事の関係先から、台湾の人が新潟に来られた時、お土産にいつもお茶をいただいた。
凍頂烏龍茶 高山茶 東方美人茶 梨山茶 阿里山茶
地名だったり、作り方だったりの違いをようやく理解できた。
凍頂烏龍茶 100g 1本 このお店で買ってきた。380元 1064円

お茶屋店のあとは金龍民芸店へ。この店を訪ねるのは9回目である。
ほしいものは全部買っている。今回は何も買うものがない。
妻と店のなかをぶらぶらしていた。入り口で皆さんを待っていた。

バスで九分(人偏に分)に行く。九分は4回目になるが夜の九分は初めてである。
最もよくポスターに出てくる場所 映画館から石段を降りてくる撮影スポットの前
「九戸茶語」で最後の夕食会。4回目の夕食会ともなればいつも同じテーブルを囲むから
話が弾んでくる。ビールをいただいた。150元 420円
紹興酒を飲んでいる男性もいる。1杯 100元 280円






私も紹興酒を飲みたいところだが我慢、この後の予定がある。

あっさりと九分を引き上げホテルに向かう。
ガイドはホテルに泊まらず台北市内の自宅に泊まる。
台湾名物の夜市への案内は今回のパックには無かった。
私は妻と士林夜市に行く予定を立てていた。
ホテルに着き、チェックインしたあとエレベーターを待つ間、同じ旅行の同行者が
「夜市への案内は無いのか」という声が聞こえたので
「私でよければご案内しますよ。これから夫婦で行くところです」
「お願いします」とご夫婦。10分後にロビーで待ち合わせた。
フロントにタクシーを頼む。フロントマンは 「どこまで行くのか?」
台湾観光案内書を見せて「ここ」と答える。
すぐタクシーが玄関に着き、フロントマンは北京語で「士林夜市まで」と運転手に伝える。
台北のタクシーはとても安い。4人もいればタクシーに限るのだ。

士林夜市に着き メーターは150元  420円ほど
タクシーの中で そのご夫婦に簡単に自己紹介をした。
「台湾は9回目になります。今回は退職してプライベートでの台湾旅行で
いつも台中県と台北市だったので台湾一周コースに夫婦で参加しました。
士林夜市は8回目になります。老眼鏡とドライフルーツを買うのが目的です」

タクシーを降りた後、簡単に歩くコースを伝える。
「このにぎやかな道を途中まで行き、屋台の多い通りを左に曲がり、
最も人通りの多い通りを この駅まで戻ります」

屋台が並んでいる通りで売られている食べ物を見る。
太いソーセージや牛肉麺を食べたいがおなかがいっぱいである。
メガネ屋さんで 用意していたノートを見せる。「老眼鏡 2.0」と書いておいた。
メガネ屋さんのおばさんが2.0の老眼鏡を出し、しっかり見えるかどうか新聞を捜してくれた。
よく見えるかと聞く。「OK」と手で合図する。 200元  560円の老眼鏡を買った。
同行したご夫婦のご主人も1.5の老眼鏡をほしいという。
私のノートの 2.0を消し 1.5と書いておばさんに見せた。
1.5は150元  420円なり 同行氏も1本買い、おばさんと記念写真を撮った。

人通りが多い夜市の狭いメインストリートで、妻が「これ食べてみたい」
「鶏蛋○」 ○は忘れたが焼き菓子の字
1袋 20元 60円 繭大のカステラ色の焼き物が8個ほど入っている。
歩きながら食べた。カステラや銅鑼焼きの皮と同じ味だった。

場所を知っていたドライフルーツの店 2軒回った。
ドライマンゴーを2袋買った。1袋100元 280円
同行氏も各種ドライフルーツをお土産用に買った。
もう1軒のお土産屋さんで「筍」があるか聞く。無いとのこと。
凍頂烏龍茶 150g入り1本を買う。 250元 700円

私が食べたかったフルーツを夜店で買う。
「糖葫蘆」 タンフール トマト飴である。

100元 280円 (この写真は半分 ホテルの机で)
おまけにメロンをたくさん入れてくれた。

帰りもタクシーに乗る。行き先はホテルの名刺を見せた。
運転手はすぐ名刺を返してくれた。帰路の運賃は140元 400円
同行氏の奥さんが払ってくれた。

ホテルの部屋に戻り、先ほど夜店で買ったフルーツをホテルのカップに移し(上の写真)
買った袋のまま同行氏のお部屋に、私の手書き説明文を付けて届けた。

このホテルは セブンイレブンがホテルの中にある 世界でただ一つのホテルだという。
翌朝夜明け前に セブンイレブンに行った。ホテルとの境目は扉があり、一旦外に出る。
夜間は扉で区切られている。
昨夕 士林夜市で買ったものと同じメーカーの凍頂烏龍茶 150g入り1本を買った。
全く同じパッケージで1本 120元 340円ほど。がっかりした。


24年10月27日(土)
ホテルの朝食は6時半から。私は朝が早い。
お酒を飲んでいるので、テレビも日本語じゃないので部屋に入ってすぐ寝てしまう。
寝ている間に 昨夜の花の名を思い出した。「玉欄のつぼみ」(白もくれん)だった。
「玉欄」は昔、京都にいたころよく通った喫茶店兼食堂の名前である。
だから メモしなくても分かっているはずだった。
高雄市内中心部のホテルを7時20分出発。
すぐ民芸店による。8時半ごろから開いている。
いつも寄る台北のお土産屋さん(民芸店)と同じような品揃えで、何も買いたいものがない。
でも、せっかく両替している。台北のホテルまで届けてくれるというので、妻と相談して
「メンマ」と「はすの実」をお土産用に買った。
その後は時間つぶしに困った。妻は「外で待とう」という。外にでたら同じような人がジュースを飲んでいた。
アップルマンゴーのジュースを頼んだ。
店頭でミキサーに入れて絞り、水と氷を足して紙カップに入れ、機械でポリエチレンの蓋をしている。
1杯60元 換算170円 おいしかった。妻と半分こにしていただいた。

海岸の道路を北上して台東市の食事所兼コンビニでゆっくりとトイレ休憩。
この店でガイドお勧めの果物を注文する。

パパイヤ、パイナップル、蓮霧(れんぶ ワックスアップル)が売られている。
マンゴーは8月でシーズンが終わっており、釈迦頭も過ぎている。



蓮霧(れんぶ ワックスアップル)


パパイヤ、メロン、蓮霧(れんぶ ワックスアップル)のミックスを頼んだ。100元 280円
蓮霧を食べるのは始めてである。水分が少ない。
青りんごのすっぱさを無くして、薄めたような味だった。甘みは少ない。

昼食は台東市の「一家」で田舎料理
マーボー豆腐も食べたと記憶している。品数が多くて覚えきれない。
不思議な一皿が出た。初めて食べる豆の蔓のような野菜の炒め物。
皆が食べたあと残ったので撮影した。

ガイドに聞いたところ「ハヤト瓜の新芽」の炒め物とのこと。
今回の旅のガイドは素晴らしい博識で、料理材料や植物名をすべて知っている。
デザートは洛神果 らくしんか ハイビスカス科の花の額を砂糖漬けしたもの。
お店で売っていたので買ってきた。


食事の後は東海岸を北上して「三仙台」という海に突き出た岩山と
「八仙洞」という自然風穴(中に寺院がある)を見て、花蓮市へ。
途中 北回帰線上で写真を撮る。

花蓮で、ホテルに行く前にオプションツアー(2000円)で阿美文化村の民族舞踊を見る。

1ステージ1時間ぐらい。若い女性8名 若い男性8名のダイナミックな舞踊を見る。
遠いのでストロボが利かない。ストロボ無しで撮影した。
楽しいショーだった。最後のほうでは客席にお呼びがかかる。

ホテルで広東料理の夕食。楽しいショーを見たので台湾ビール(120元)を2本飲んだ。
この夕食でもキャベツの炒め物が出てきた。


24年10月26日(金)
台中市のホテルで朝食。日本のホテルと替わらない。
高級ホテルでは無いため、玉子料理の選択肢はない。
ゆで玉子を選んだら係りのお姉さんが 剥いた玉子を指差してくれた。
妻と「朝から食べ過ぎないようにしよう」と話しながらいただく。
でも、筍料理や野菜料理など各種を皿に盛った。白いご飯を食べた。

バスで日月潭に行く。一周したかったが「日月潭に行った」だけとなった。
日月潭に到着するまえ、ガイドが「私が案内する店の、烏龍茶煮玉子がうまい。
手前から2軒目の店でおばあちゃんが作っている。5日間煮てあり、玉子の黄身にまで
味がしっかりと浸みこんでいる。この店が地震で休んでいたとき他の店のものを食べたが
この店に適うところは無い」と断言、薦めてくれた。1個10元 28円相当
2つ買って、熱いので小さなポリ袋のまま持ちながら寺院を見学、参拝した。


寺院の前の展望台から


道教の寺院


展望台の脇 ブーゲンビリアが咲いていた

バスに戻って、先ほど買った煮玉子を妻と一つずつ食べた。しっかりと黄身まで味がしみこんでいる。
うまい。以前日本海沿いの道の駅で、烏龍茶煮玉子を買って食べたがおいしくなくて、捨てたことがある。
台湾の本物がこんなに旨いものだとは知らなかった。(目下研究中 作っている)
その後、工芸店によりバナナを頂く。黒檀で民芸品を作る大きなお店だった。
今回はお土産を買わない旅行である。眺めただけ。
他の人は 黒檀製の長い靴べらを買っていた。日本円支払で2000円だという。
私もほしかったが玄関に靴べらが3本あるので止めた。

昼食は嘉義市の「噴水鶏肉飯」 小さめのどんぶりご飯だけテーブルに載っていた。
台湾ビール 120元 343円相当 この値段だと飲まないわけにはいかない。頼んだ。
ビールを飲んでいるうちに、次から次へと皿盛り料理が運ばれてきた。
合計8皿ぐらいになる。食べながらメモするわけにもいかず、写真撮影もしない。
妻は皿盛り料理でおなかいっぱいになり鶏肉飯を残したので、私が頂いた。

昼食後台南市へ




1ヶ所だけ見学した。オランダ人が17世紀に建てた城砦だという。

バスで高雄市まで行き蓮池潭を見学 竜虎の塔

龍と虎の塔が並んでいる。龍の口から入り虎の塔から出る。
龍の塔の最上階から撮影
入場料は無料だが10元(29円)の賽銭をあげると絵葉書をくれた。
ガイド「寅年生まれの人 いますか?」
私「はい」 虎の塔をバックに記念撮影してもらった。

夕暮れになり、ガイドは明日の朝寄ることになっている道教寺院を今晩見るという。
予定していた夕食の時間までは間がある。夜の寺院も灯りが美しい。
三鳳宮に寄った。

お宮の中の写真は提灯が美しい。ストロボなしで妻を撮影した。すこし手振れがでた。
この中を参拝、見学した。他の参拝客は地元の人数名だけ。
ガイドはお供え物の花の香を嗅がせてくれた。南国の花の強い香りがする。
私が良く知っている花の名前だったのでメモしなかった。白い6〜7センチのつぼみである。

夕食は龍興海鮮餐廳の海鮮料理
海老のから揚げから始まり蟹ピラフ風(炒飯ではなく炊き込みご飯)
フカヒレ入りスープ、海鮮風八宝菜、春巻ほか
台湾ビールは120元 この値段では飲まなければならい。
夕食後 19時半にホテルに入った。
ホテルに入ってから さきほどの香りをかいだ花の名前 思い出せなかった。
メモしておけばよかった。


24年10月25日(木)
かねてから計画していた「台湾一周の旅」初日。22年に続き妻と一緒である。
業務での出張は台中県と台北市であり、そのほかの場所に行ったことはない。
旅行各社のネットを見て、羽田空港から台北市内松山空港に行く阪急交通社のパック旅行を選んだ。
5日間で台湾を反時計回りに一周するバス旅行、台湾の新幹線は使わず、1ヶ所だけ特急列車を利用する。
朝の通勤時間と重なるので、川越から天王洲アイルに直行するJRに乗った。乗り換え回数が少ない。
羽田空港に出発3時間前に着いた。羽田空港内の江戸の町で時間をつぶす。
買うものは無いので、飲食店のメニューだけ見て回る。

荷物は絞った。二人分で小さめのスーツケース1個。
お土産も買う予定がないお金を使わない旅行を心がけた。
予期しなかった飛行機である。エバー航空の ハローキティ機 5機あるそうだ。

機内食は、妻は魚、私は肉を選んだ。食事を配るCAのエプロンもプラスチックの食器も
アイスクリームの蓋も、お手拭きもハローキティ。

松山空港に着き、台湾人ガイドの案内でバスに乗り、台中市までバス旅行。
夕食は 客家(はっか)料理だ。野菜料理主体で香辛料が控えめなので我々の口に合う。
3卓に別れ我々は2卓の9人。以降食事はすべて2卓、同じ顔ぶれになる。熟年夫婦4組+若い男性1名。
キャベツの煮物がうまかった。(この料理は目下研究中)
円卓で1皿に9人分盛られている。最初に出たのはピザのような丸い玉子料理、9つにナイフが入っている。
台湾ビールは150圓(NT$ ニュータイワンドル 以下 元を使う) 日本円換算430円 (たぶん600ml)
西部劇と同じく食卓で現金引換えで頼む。
天井に 月落ちて烏鳴き 霜は天に満つ の漢詩があった。作者を思い出そうとしたが忘れてしまった。
このお店のデザート(別料金)で杏仁豆腐がおいしいとガイドがいう。
二つ注文した。80元 換算230円×2 結構な量だった。

黒いものは小豆の味がした。
我々のテーブルは初対面であり会話は少ない。料理を撮影したいのだが団体旅行で他の方を待たせるわけにはいかない。


24年10月23日(火)
川越自宅に来ている。妻から頼まれていたたくさんの用事があった。
「退職して時間ができてから」と後回しにしていた。
粗大ごみを廃棄施設まで持ち込み処分することや、結婚した当時に作った銀行預金通帳の印鑑照合、
銀行への住所変更届けほか、私でなければできない用務である。妻と一緒に回った。

昼食は ぎょうざの満州 坂戸にっさい店

以前は坂戸市入西だった。地図では にっさい となっている。
私も にっさい の漢字変換が分からなくなり調べたら にっさい となっていた。
このお店は工場に隣接していて駐車場が広い。運転中だったのでビールはなくご飯だけ。






ダブル餃子定食 500円


24年10月21日(日)
土曜日遅く川越に着いている。
夕食は次男が「上尾市の焼き鳥屋さん」でご馳走してくれる約束だ。三男も川越に戻り参加した。
三男の就職お祝いもこのお店で行ったという。
次男は妻の血統を引いてお酒は飲めない。お酒を飲むと心臓がドキドキするそうだ。
おかげで帰りの運転手付きでゆっくり本物のサッポロビールとご自慢の焼き鳥をいただいた。
おもしろいお店だった。若いご主人が一人で切り盛りしている。
客層が良かった。焼き鳥屋さんなのに煙がない。我々がいる間、お客に喫煙者は一人もいなかった。
女性客もいて、清潔なお店だった。
三男から 退職のお祝いとして「これでおいしい物でも食べてください」と箸をもらった。


24年10月20日(土)
公園のラジオ体操の前、中津川にかかる毘沙門橋を渡るとき、橋の下に鮭が見えた。
石巻から北上川を遡り、生まれた中津川まで戻ってきた鮭である。
ご苦労さまでした。

中津川


毘沙門橋から 中津川の流れ


体操から戻り、インサイトで国道4号線を走り川越に出発した。高速道路は使わない。

24年10月18日(木)
体操の帰り道、寺の下地区を通った。祇陀寺に花が咲いていた。
中に入ると鐘楼のところにヘブンリーブルーが咲いていた。

緑色が寺院群



祇陀寺 子供のころは ぎんだんず と発音していた。
小学校の担任が「ぎんだんず ではない。ぎだじ だ」と子供たちの発音を直した。




祇陀寺鐘楼のヘブンリーブルー


24年10月17日(水)
所用があり、大通りまで歩いて出かけた。できるだけ車を使わず早足で歩くようにしている。
盛岡の町並みは美しい。その理由は川と緑があるからである。


新渡戸稲造 生誕の地


奥に銅像がある


前の5千円札肖像 新渡戸稲造


盛岡城跡公園の石垣


御田屋清水 おたやしみず
街の中央 大通りの四つ角にある。飲んできた。

南部鉄器の釜定に注文していた鍋を取りにいった

釜定


入ってすぐ右側に飾り棚がある。商品が飾られている。


右側の丸い すき焼き鍋 真ん中の「中」を買ってきた。
この鍋が好きな人にプレゼント。


24年10月 9日(火)
ラジオ体操から八幡宮の前を通り、神子田朝市に歩いた。朝の散歩である。

普通の日は駐車場が空いている


入り口の看板


神子田朝市は 全国的に有名らしい


あけび も売られていた


加賀野菜の金時草 きんじそう
盛岡では初めて見た
天ぷらにした


イタリアンパセリ 50円 夕食はパスタを作った


24年10月 8日(月) 体育の日
公園で行われるラジオ体操の帰り道、朝日を浴びる寺の下寺院群地区の緑が美しい。


大慈寺の前の道 「どんど晴れ」のロケ地だった。


大慈寺小学校のアサガオ
八戸で暮らしていた頃、この種をアパートの前のフラワーポットに撒いた。
ブルーのアサガオが美しかった。我々がいなくなったあとも落ちた種から咲いていたという。


姉と朝食 じゃじゃ麺


24年10月 6日(土)
盛岡城跡公園(岩手公園)で行われているラジオ体操に初めて参加した。
八戸で8年間、新潟で10年間仕事の前にラジオ体操を行ってきた。
姉に「どこかラジオ体操をしているところ ある?」
姉「公園でやっているよ」
6時半からのラジオ体操なので、散歩をかねて6時15分ごろに家を出た。


中津川原で


盛岡城跡公園 芝生広場でラジオ体操が行われていた。この画面の右側である。


体操が終わった後、公園脇の中津川原を歩いた。萩が咲いていた。


公園のベンチ 絵柄は南部家家紋の向い鶴 南部鉄器のようだ


ベンチに落ち葉が一葉 落ちていた。


ビクトリアロード


24年10月 1日(月)
今日から毎日 引越し荷物片付けと整理整頓
もともと家財道具が揃っている実家に、18年間八戸市と新潟市で暮らした私の一家の家財道具が重複するのだ。
それでも新潟で処分し、家庭電化製品は長男のところに置いてきている。

前日、山形県南陽市で げそ天丼を待っている間、ご主人がお姉さんに指示し
私のところに届けてくれた茶碗蒸し これもおいしかった。


下側が新潟の名店 加島屋の瓶詰め 新潟空港売店で買い求めた。
上は、職場のお姉さんが引越し準備中の私に届けてくれた手作りパン。
盛岡でトーストにしていただいた。パン作りがとても上手になった。


盛岡市役所に転入届に出向いた。早かったので市役所前の中津川のほとりを
散歩していたらテレビ局の裏庭に彫刻があった。
この欄で過去に載せた写真の姉妹像に見える。
道東の四季 春 釧路市幣舞橋
   〃       御堂筋彫刻ストリート
   〃       盛岡市 岩手県立美術館
シオン       盛岡市 つなぎ温泉御所湖畔
お庭を掃除しているネクタイ姿の社員の方に「作者はどなたですか?」と聞いた。
「舟越保武さんです」と教えてくれた。像の名称も作者名も何も書かれていなかった。



24年 9月30日 日曜日
前夜新潟東港を17時に出発し、盛岡には08時に着かなければならない。
引越しのトラックは09時に盛岡の実家に着く。
結局5ヶ所で仮眠した。道の駅(山形県小国・飯豊・村山 秋田県雄勝 計4ヶ所)、コンビニ駐車場が1ヶ所
高速道路は使わなかった。眠気をもようしたら事故を起こす。
国道13号線を北上して、横手市から西和賀、沢内村、鶯宿、つなぎ温泉ルートで
予定のとおり08時に実家に着いた。途中、つなぎ温泉で6時半過ぎ、朝市に寄った。

後方はつなぎ温泉街


「車で着たのか、この枝をもって行きなさい。あげる」とおじさん
引越し荷物満載だったので丁寧にお断りした。


トマトと洋ナシ(バートレット)を買ってきた。


「尾入温泉」を探すことも目的のひとつ
「尾入温泉」はインターネットでひとつもヒットしない。
この橋の向こう側に尾入温泉が存在した。うつくしい温泉だった。
温泉と言っても、ある会社の保養所である。1軒しかない温泉だった。
正確には「温泉」に入らないかもしれない。温度は低く加熱していたが
つなぎ温泉と同じく 硫黄のにおいがした。鉱泉ではないと思っている。
まったくヒットしないのもおかしい。人々の記憶の中から消えかかっているのだ。

つなぎ温泉の前にある人口湖「御所湖」(御所ダム)は、昭和42年に着工され
昭和56年(1981年)に完成した。尾入温泉はこの御所湖の湖底に沈んだ。


御所ダムの堰堤に近い北側、「尾入野」と「元御所」の中間に橋がある。
橋の下には細い川がある。その小川が雫石川に合流する地点に尾入温泉があった。
この写真の水面のずっと下に雫石川があり、水量は極めて少なく、歩いて横断できる川だった。
つなぎ温泉から何度も川を渡り、緩やかな斜面の滝を登って尾入温泉に着いた。
私が小学生から高校生のころ、東京オリンピック TOKYO1964 の前後である。

私の記憶が薄れないうちに「尾入温泉」の記憶を残しておきたい。
インターネットにヒットしないということは、誰もが記録していない、または手段がないということだ。
幸いにも、私には記憶と記録がある。このホームページの中で1項目 「尾入温泉」の記録を残す。
幸いにも、私は10月から無職、時間は有り余るほどある。
昭和42年、私の兄弟たちは尾入温泉の夏を、いつものように楽しんでいる。
その年に着工されたことは知らなかった。


24年 9月29日 土曜日
引越しの当日である。28日の荷造りは2時までかかった。それでも4時に目が覚めた。
最後の身の回りのものをトートバッグに詰め込む。長男は6時前から手伝いに来てくれた。
盛岡までもって帰るパソコンやテレビなど、私のインサイトに積み込む。
引越しの運送会社は9時に来ることになっている。作りおきのおにぎりを食べた。
長男の考えで、長男は私のインサイトで出勤した。エスクードにカーペットなど廃棄物を積み込む。
長男が新潟にいてくれてとても助かった。
引越し荷物の積み込みは思ったよりも早く、9時から始めて11時半ごろに終わった。
午後1番でカーペットなど新潟で処分するものを亀田清掃センターに持ち込み、処分をお願いした。
3時に、会社担当者の立会いの下、アパートの家主と最終確認を行った。
私はタバコを吸わないので、10年間住んでいた割にはきれいに引き払うことができた。
新潟東港にある長男の勤務先にエスクードで寄り、インサイトに乗り換えて長男と別れた。
山形経由での帰り道の途中である。5時過ぎに新潟東港を出発した。
途中、道の駅関川でお風呂に入った。この道の駅にはお風呂があり初めて入る。500円。

国道113号線を通り、山形県南陽市に向かう。
南陽市の○○○○というお店の天丼を食べるつもりだ。
カーナビに電話番号を入れた。その場所に着いたのだが、それらしいお店の看板はない。
お店の駐車場に車をとめ、周囲を探すが目的のお店はない。
食堂があり入ってみた。お茶を出してくれたお姉さんに「この辺に○○○○というお店はありませんでしたか?」
若いお姉さんは知らないという。奥に入ってご主人に聞いてくれた。
ご主人は畏まって出てきて、私に「私は○○○○で、天ぷらを揚げていた職人です。
○○○○は経営者が亡くなり2年ほど休んでいましたが、私が同じ場所でこの店を開きました。」
私は「○○○○の大海老天丼を食べたくて、カーナビに入れて新潟から訪ねたらこのお店に着きました。
開いていてよかったです。」午後8時40分だった。
メニューをじっくり見て「ゲソ天丼」を頼んだ。420円は食べてみたい。



文句なしに旨かった。お礼を言った。
丁寧に挨拶してくれたご主人に渡したいものがあった。一旦車に戻り
新潟の加島屋の「げその塩辛」1瓶を渡した。
「新潟から盛岡にもって行く げその塩辛です。このお店にもげそ天丼があったので
偶然だったので他の天丼ではなく げそ天丼を注文しました。とてもおいしかったので
これご主人にプレゼントします」
ご主人「せっかくだが、私は塩辛は食べないので気持ちだけいただきます」


暖かい思いで、南陽市を後にした。


24年 9月26日 水曜日

土曜日から引越しの手伝いに来ていた妻が12時の高速バスで埼玉に帰る。
早朝から二人で荷造りをした。部屋がかなり片付いた。
特に、私の食材コレクションがきれいに片付いた。
長男がだいぶ食べてくれたおかげもある。

11時過ぎ、有名な「バスセンターのカレー」を食べた。
カレーライス 420円


私はカレーライス 大盛り 420円+70円


立ち食いそば屋さんである。椅子はない。
空いていたのでバスセンターの椅子に座っていただいた。
妻は「量が多い」と言って残した。私も大盛りを頼んだこと後悔した。
大盛りは 本当の大盛りである。+70円に引かれた。
さすがの私でも大盛り+妻の残りまではできなかった。
小麦粉が入っているような、ほどほどに辛い、昔の大衆食堂の黄色いカレーである。

そのあと、新潟市亀田清掃センターに処分するふとんほかを持ち込んだ。
60kgで360円だった。南部鉄器のジンギスカン鍋が重かった。


24年 9月25日 火曜日
9月末で退職する。最後の出勤日である。
会社玄関のヘブンリーブルーが、今年初めてたくさんの花を付けてくれた。





午前中から広い敷地にある各社を、退職挨拶に回った。
新潟には10年3ヶ月いた。転勤者にしては長い。
お昼はいつものラーメン屋さんに決めていた。
「今日が最後の出勤日です。最後の日はラーメンに決めていました。」
ラーメン屋さんのおかあさん「さびしくなりますね、体に気をつけて
お元気でお過ごしください。また新潟にいらしたときは寄ってくださいね」


ラーメンライス おかずがおいしかった。

夜、職場の送別会があった。
花束ではなく、新潟県燕市の みがきやさんが拵えた
ビアタンブラーを記念にいただいた。


24年 9月22日 土曜日
7時前に川越自宅を出発、途中407号線で朝食 「山田うどん」
妻はかき揚げうどん 340円


私は朝カレーセット+うどん大盛 290+50=340円


途中、いろいろ用を足しながら十日町へ
お昼は 十日町中条の「中条松海」で越後すし丼

+デザートで 1260円
たまご焼きがおいしかった。もちろん他の魚もうまかった。この値段で!!。


24年 9月21日 金曜日
休みを取り、妻を迎えに川越市へ向かう。
その前に朝食 どんぶりに入れて玉子を割りいれ、お湯をかけ蓋をした。
お湯をかけ蓋をしただけでは、これ以上にはならない。


高速道路は使わず8号線から17号線で7時に出発した。
最初に 7月にオープンしたばかりの道の駅 南魚沼「雪あかり」に寄る。
農産物直売店「四季味わい館」で買い物
かぐらなんばん 120円と100円 十全ナス 100円
四葉きゅうり 100円 いちぢく 200円 計620円


次は17号線 渋川市上白井の永井食堂
もつ煮込みで、ドライバーの間で有名なお店である。
いつも混んでいて、日曜日は休みなので入るのは初めて。

入り口は並んでいる。乗用車人が多く、ご婦人もけっこう食べている。


もつ煮定食 590円 ご飯の量が多い。
おねえさんに注文を聞かれ、「もつ煮定食」と答えると20秒ぐらいで出てくる。

カウンター席だけ、食べていない人の席へおねえさんが置く。
だいたいの客はもつ煮定食 回転がとても速い。

3軒目は 高崎市の甘納豆のお店、長男から頼まれた。
「甘納豆を5000円分 買ってくるように + アルファ」
芳房堂 ほうぼうどう

+アルファは 「カードをもらってくること」

店内




川越市に着いて、途中宅配便で荷物を出し、「餃子の満州」工場隣接直売店で新潟知人へのお土産を買う。
クーラーボックスと保冷材を積んでいた。


24年 9月15日 土曜日
引越し準備でたまった廃棄物を、新潟市亀田清掃センターに持ち込みした。
インターネットで調べて「自己搬入」 今回は2回目だ。
最初に行ったときは、係員が丁寧に説明してくれた。10kg 60円
荷物をつんだままトラックスケールに載り、最初の計量
指定場所に入り、荷物を下ろしてまたスケールに載り30kgだった。180円支払った。
2回目は、木、陶器類、金属ごみの3種類をポリ袋に入れて持って行った。
10kg 60円だった。
この話を同僚のお姉さんにしたら「隣にお風呂と野球場があるよ」と教えられた。
お風呂に寄り、ゆっくり入浴した。廃棄物処理場の廃熱を利用しており200円だった。
ただし営業時間は17時。

奥が亀田清掃センター


田舟の里 入浴施設



24年 9月 9日 日曜日
長男が休みを取り、長男リクエストの 寺泊水族館に出かけた。
新潟から国道116号を走り(最高時速70kmの自動車専用国道)、弥彦神社へ。
参拝のあと、門前の酒屋さんに 転出の挨拶をした。
いつもダイレクトメールをもらっている。雪中梅一升瓶と同じ銘柄の枡を買った。
寺泊水族館に行く途中、寺泊港に 自衛艦 ひうち が一般公開していた。
寺泊水族館で入場料を買う。JAFの会員証を提示すると700円が500円となった。
さゆりちゃんは 小さなお魚さんの水槽に手を入れて、つんつん されたそうだ。
触れるお魚さんがいる水族館で、屋上では ヒトデに触れる水槽がある。

寺泊「さざえ」で昼食、おとうさんとおかあさんは 焼き魚定食、あじとさばの塩焼きをそれぞれ注文
私は 海鮮丼を食べた。 1500円

焼き魚定食は1300円 さゆりちゃんはおかあさんの定食をいっしょに食べた。
かにが入ると豪華だが、食べるのに時間がかかる。

帰りにも燕の「ストックバスターズ」に寄った。「在庫退治」という名前で
流行っている。この日も多くのお客さんが来ていた。
私は10円の栓抜きと、31円の何かを買った。何かは忘れてしまった。


24年 9月 8日 土曜日
お盆明けから長男が新潟東港の工業地帯で勤務している。
さゆりちゃんとおかあさんが合流した。
私は新潟のアパートを退去する準備をしている。
午後からさゆりちゃんの住むアパートに行き、福島潟と笹川流れを案内した。
福島潟は湿地帯であり、水辺をみた。大きなおたまじゃくしがたくさんいた。
ウシガエルのおたまじゃくし、丸いコーヒースプーンが団体で泳いでいた。
水中をカメラで写すのは難しい。画像はない。
笹川流れの帰り道、高速道路上から稲妻が続けざまに見えた。
走行している間、不思議に雨は降らなかった。
フロントガラスの前方から、運転しながら稲妻ショーを見た。
長男が住むアパートで長男の帰りを待ち、集中豪雨の中を
松浜のおすし屋さんに行った。さゆりちゃんは おすし屋さんの半纏衣装だった。
えりに まいど と書いてあった。

いじま 越後すし丼


さゆりちゃんはわさび抜きの海苔巻き かっぱ たまご なっとう



24年 8月19日 日曜日
早朝に自宅を出発、朝市により瓶詰め(牛乳瓶)のウニほかを買う。
自宅前を通り、つなぎ温泉 鶯宿温泉 沢内村 湯田温泉郷 横手ルートで秋田県にでるコース。
つなぎ温泉の御所湖畔広場で朝市をやっていた。迷わず寄った。7時前である。


奥はつなぎ温泉街


右側に御所湖がある


巨大な夕顔 300円



青唐辛子がおまけについている

唐辛子無しで煮物にすると、間が抜けた味になる
唐辛子を入れると、味がピンと張り詰める


雫石産 干し椎茸 1500円を眺めていたらおまけしてくれた

地元産の立派な干し椎茸だ

他のお店でピーマンを1袋買った。100円出したら50円おつりがきた。
もう1袋追加して買った。



24年 8月18日 土曜日
さゆりちゃん親子と、さゆりちゃんのお父さんのお母さんと、お昼に北田食堂に行った。
炎天下の寺の下寺院群地区、桂の大木の下の道、平成の名水に選ばれた「大慈清水」の脇を歩いた。
目的は「オリエンタルライス」 盛岡のオリエンタルライスだ。
二階のお部屋は我々だけ。ゆっくり頂いた。


午後から13日に訪ねた南部鉄器の「釜定」に行き、注文した。
数が揃わないという。カタログを見せてもらい、カタログの中から注文した。
南部鉄器の栓抜きである。5種類を選んで、新潟に送ってもらうこととした。
9月末に使うので急がない。


24年 8月17日 金曜日

さゆりちゃんとおかあさん、おばあさんと八幡平国立公園にドライブした。
八幡平市の、私の母の実家を訪ね、仏壇にお線香をあげた。
そのあとに、樹海ラインを通り、八幡平山頂へ。
樹海ラインとはよく名づけたものだ。木しか見えない。回りの風景は見えないのだ。
山頂近くはガスがかかり、視界不良、何も見えないがさすがに涼しい。
気温18度、山頂の屋内休憩所で軽くおにぎりを食べ、後生掛温泉に向かう。
八幡平山頂は岩手県と秋田県の境界である。秋田県側に向かう。
途中、後生掛ビジターセンター近くで、道からわき道に抜ける細い道の分かれ目に
小熊が見えた。本物の月の輪熊だ。Uタンーして、カメラの準備をして向かったが
小熊は消えていた。
ビジターセンターで買い物をしながら「熊がいましたよ」
係りの人「どんな熊でした?」 私 「小熊1匹でした」
係りの人「ここのところ 毎日見かけますよ。2組います」

後生掛温泉名物 黒たまご


後生掛温泉の食堂で、そば類やカレーライスを昼食にする。
後でわかったが、我々が注文したのは530円のものばかりだった。




24年 8月16日 木曜日
盛岡のお盆の最後の日、近くを流れる北上川の「舟っこ流し」を見に行った。
16時30分開始だが、読経が長く、ゆっくり自宅を出た。歩いて行ける。
舟っこが流れてくる間、さゆりちゃんは ネコジャラシで遊んでいた。


暗くなってから、舟が流れてきた。火がつけられると
花火が空に舞い上がり、発炎筒が赤い光を放つ。


おうちに帰ってから北上川で花火が上がった。
おうちの前で、送り火を焚きながら花火をした。


24年 8月15日 水曜日
さゆりちゃんのお父さんは昨晩の夜行バスで東京に戻った。
さゆりちゃんとおかあさん、おばあさんと一緒に、小岩井農場に遊びに行った。
小岩井農場には子供向けの遊ぶところがたくさんある。さゆりちゃんは2回目だ。



マルカンデパートに続き、小岩井のソフトクリームを食べた。
小岩井農場の次は、近くの手作り村に行った。
おかあさんと一緒に南部せんべいを焼いた。
じーじに動物の積み木パズルを買ってもらった。


24年 8月14日 火曜日
朝、長男と一緒に盛岡神子田朝市に行った。
野菜は買ってあるので、実はあまり買うものはないが、朝市が好きなのだ。
今夕は自宅に親族が集まり、恒例の宴会を行う。
その材料を買う。メニューはまだ決めていない。
家の前の通りは、19:30から歩行者専用となり、黒川さんさ踊りが来る。
昔ながらの迎え火を焚き、子ども達は迎え火で花火をする。
朝から忙しい日になる。

午前中に前日の書類を作り、それぞれ届けた。一通り終わった。
午後から本格的に料理を作る。
ビールはサントリーの金麦、京都の一澤帆布製品があたるキャンペーンがあり、
その応募券がほしくて、たくさん買っていた。縁側にあるビール用(飲み物用)冷蔵庫が小さい。

暗くなり、宴会が始まった。若いお父さんお母さんと子供たち、幼児は通りに面した家の前で
花火をしている。大人たちは宴会を続けた。
飲んでいたので、画像はない。


24年 8月13日 月曜日
盛岡のお盆の初日、お寺へは妻が行った。
私は朝から予定していた手続きを進めに市内を歩いて回った。
1番目は近くの、姉が勤めていた銀行の支店である。
開店と同時に行き、1番目の札を取り、口座開設とコンピュータ処理の書類をいただく。
2番目はNTT盛岡支社、姉名義になっている加入電話を私名義にする書類をもらう。
3番目は、市役所で印鑑証明書の書類をもらう。
4番目は市役所から中津川を渡って、東北電力岩手支店、電話と同じく家の名義変更と
支払者の変更手続き、これが最も簡単だった。もちろん検針票を持っていった。
5番目は、東北電力近くの喫茶店 中学校同級生がマスターをしている。
あいにく本人は外出中で、回数券だけ買ってきた。テレビ局の取材が来ていた。
6番目は、東北電力岩手支店そばの 南部鉄器「釜定」 
退職にあたって 記念品を品定め、デザインと価格を見てきた。
このあたりは、中津川に沿った、美しい街、城下町の面影を残している私が好きなところである。
NHKテレビ 朝の連続ドラマ 「どんど晴れ」の舞台になった古い街である。
7番目は 肴町の太田精肉店、盛岡に帰ったとき必ずこのお店のメンチカツを買う。
午前中で用が足りた。
昔は自転車で回ったが、これからはできるだけ歩こうと思った。
お寺が並んでいる寺の下寺院群地区は、お盆で人通りが多かった。

朝市で買ってきたパンの耳でサンドイッチを作った。パンは食パンの耳だが、
中身はよいものを使った。みんなで食べ、すぐになくなった。





187枚目 「般若寺 文殊菩薩」の手ぬぐい



24年 8月12日 日曜日
10日に新幹線で盛岡に着いていたさゆりちゃん一家を連れて、
花巻市にある「マルカンデパート」の大食堂に行った。
11時前に着くよう、早めに盛岡を出発した。約40kmぐらいある。
大食堂は時間が早かったので混んでいなかった。


大人気のソフトクリーム 150円


この大きさ 早く食べないと溶けてしまう


長男は マルカンラーメン 


このソフトクリームは 割り箸で食べる
さゆりちゃんは子ども寿司
さゆりちゃんのお母さんは冷風麺を食べた。

そのあと、東山町の猊鼻渓を訪ねた。



24年 8月11日 土曜日
盛岡ICに4時過ぎに着いた。途中の宮城県泉ICから仙台まで事故のため東北自動車道は閉鎖
仙台市内をカーナビを頼りに抜けた。大都市付近で高速道路から下ろされるのは迷惑だ。
長男とそのまま盛岡市神子田(みこだ)の朝市へ寄る。自宅の途中に朝市がある。
さすがにお盆前の土曜日の朝市は混んでいる。
青唐辛子、ピーマン、大葉、茗荷などの地場野菜を買う。
四葉きゅうりが見つからない。ようやく1軒のお店で見つけた。大きくて安い。
画像はない。


平成24年 8月10日 金曜日
久しぶりに夏休みが取れる長男と福島県郡山駅で9時ごろに待ち合わせ
長男は会社が終わってから上野駅から東北新幹線
私は磐越自動車道で郡山ICまで、いつものように郡山駅周辺は混雑している。
郡山駅で長男をひろい、途中の吉野家で牛丼+カレー、十勝風豚丼を食べ、盛岡に向かった。


平成24年 7月29日 日曜日
久しぶりでホームページの表紙画像を交換した。
パソコンが使えるようになってうれしい。
暑い日が続いている。扇風機を使いながらパソコンの設定を続けている。
ヤマト運輸の伝票発行システムがうまくいかなかったり、ゆうちょ銀行の
システムが何度も本人の確認を求めてくるなど、パソコンを変更したら
しばらくパソコンを使う作業に支障がでてくる。
私の家族の名前も再登録する必要があった。

朝食 とろろうどん+冷凍磯辺揚げ+冷凍茗荷


186枚目 「柳生街道」の手ぬぐい



平成24年 7月28日 土曜日

パソコンが届いた。 もちろん中古品である。
昨年暮れごろから、いつも使っているデスクトップのパソコン(これも中古品のXP)の
電源が落ちるようになった。ケースを開けて掃除をしたが治らない。
しかたなく古いノートパソコンからこのホームページをアクセスしていた。
このノートパソコン(2005年5月購入の中古品)も、日本語入力が継続できず困っていた。
読売新聞に中古パソコンの広告が載っていた。
私のほしいパソコンは「ウィンドウズXPが使えること」
最新型では、料理写真を処理するアルバムソフトがサポートされていない。
この「オリンパス蔵衛門」に代わる処理ソフトを見つけるのが大変だ。
その新聞広告に影響され、インターネットオークションでXPの中古品を探した。
幸いにもNECの中古品が手に入った。
NEC MY34 Pentium4 3.4GB メモリーは2GB HDDは160BG
中古とはいえ、私が今まで使っていたパソコンの中では最高の機能を持っている。
もちろんオフィスソフト付で17インチ液晶ディスプレーもセットに入っている。
送料を含めて2万円からおつりがきた。
早朝から、ロンドンオリンピック中継を見ながら組み立て、セットした。

インターネット接続設定、メール接続、ホームページやオフィスソフトほか各種ソフトの設定で
半日かかった。

ロンドンオリンピックの開会式は楽しかった。
バッキンガム宮殿にタキシード姿の男が入り、女王陛下をお迎えにいく。
後姿を見て はっ と心臓が凍りついたようになった。これができる男はただ一人。
顔を見た瞬間 007 だった。役者はダニエル・クレイグ
昔むかし ハヤカワミステリーのイアン・フレミング 007シリーズを読んだ。
「On Her Majesty’s Secret Service」 「女王陛下の007」という映画も見た。

Mr.ビーンも楽しかった。ミニクーパーも出てきた。
愛車がミニクーパーの次男はさぞ喜ぶだろう。

「初めての一人暮らし料理」の原稿は、旧デスクトップのパソコンから
ノートパソコンに移してある。
そのノートパソコンから外付けのHDDに一旦コピーし、それからこの新(中古)パソコンに移行した。
私の日記 の最新版の文字が化ける。しかたなく新規に日記を入れた。


平成24年 7月 8日 日曜日
前日と同じように部屋の整理を続けている。
段ボール箱に引越し荷物を詰め、壊れた書棚を分解して捨てる用意をした。
45リットルの「燃やすゴミ」のポリ袋に入れなければならない。大きいものはのこぎりで切る。
朝食 うどん + 市販の掻き揚げ 薬味はフラワーポットの青紫蘇


ニセビールのあとの夕食
冷やし中華の麺は インスタントラーメンのそろそろ賞味期限が来るものから。
ハムの代わりにチャーシュー 



185枚目 「京の通り歌」の手ぬぐい



平成24年 7月 7日 土曜日
朝から部屋の整理をした。
NHK プロジェクトXのビデオテープをDVDにコピーしながら、不要なものを「燃やすゴミ」の袋に入れる。

朝食 ベーコンエッグ トースト 野菜ジュース コールスロー

コーヒーは朝起きたとき 飲む。


平成24年 7月 4日 水曜日
引越しに備えて冷凍庫の整理をしている。
冷凍バナメイエビがあった。エビチリソースにした。
冷凍エビ たまねぎ 細ねぎ 豆板醤 トマトケチャップ 中華スープ 紹興酒





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