思い出の尾入荘

二人の姉と妹が、私の退職ご苦労会を宮城県作並温泉で開催してくれると言う。
なぜ作並温泉かというと、23年に女の兄弟と私の妻が作並温泉に泊まったとき、宿のお風呂に行く途中、「私に見せたい」風景があるとのこと。
「尾入を思い出した」と姉たち。「尾入」とは盛岡市郊外の繋温泉(つなぎ)の手前にあった東北電力の「尾入荘」(おいれそう)である。
2012年11月現在、ヤフーでもグーグルでも 尾入 おいれ ではひとつもヒットしない。人々の記憶から忘れ去られてしまった。
私の兄弟たちは 尾入が大好きであった。10数年に渡って、子供のころ、夏に1週間から10日ほど泊まっていた美しいところだった。

「尾入温泉」「尾入荘」の記録を何とか留めたいと考えた。現在62歳の私に、また姉や妹にも忘れられがたい思い出がある。
尾入荘は昭和56年(1981年)に完成した御所ダムの湖底に沈んだ。
御所ダムの建設は昭和42年(1962年)に着手されたという。その昭和42年夏に、私が撮影したカラースライドが手元にある。
45年前のハーフサイズのカラースライドであり、マウントからフィルムがはがれていたり退色したり、損傷が著しい。

手もとに高校3年のころ尾入で描いた油絵がある。私はすっかり忘れていたが実家の建て替えにあたり姉が発見して保管していた。
スライドには松林のなかで、イーゼルに立てかけたキャンバスが写っている。モデルは当時中学3年生だった妹である。

私の退職にあたり、懇意の会社が送別会を開催してくれ、お餞別をいただいた。そのお餞別で54色の水彩絵の具を退職記念に買った。
平成3年に建て替えた実家には小さいながら私のアトリエがある。定年になったらこの場所で油絵を描こうと作っておいた部屋である。
部屋を作る広さがなく、アトリエにするつもりで板の間にした。10月からパソコン部屋+書斎+アトリエとなっている。
尾入のカラースライドを参考にして水彩画を描いた。下手な絵だが美しい尾入を記録しておく最良の方法だと思っている。
尾入荘をご存知の方がいれば ぜひ 感想、思い出を寄せてほしい。
このホームページのなかで紹介させていただく。

                                           2012年11月 レストラン我が家 支配人

お便りは最下段 (初めての一人暮らし料理へのお便り)からお願いします。

絵をクリックすると水彩画が大きくなります。


尾入バス停を降りると
看板がある
右の細い道を1kmぐらい進むと
尾入荘に着く
途中の曲がり門に小さな社があった
小道の右に流れの早い小川がある
小川の水で水車を回す
水車は右手前にあった

水車小屋
道路の向こう側は繋温泉のひとつ手前の尾入バス停
水車小屋の琺瑯の看板はカゴメソース
鮮やかな赤い看板だった
かっこう花が咲いていた
 ※1

尾入荘玄関
小道を辿れば尾入荘は道の下に見える
最初に目に着くのはトイレである
樟脳の香りがした
玄関前の広場で
ラジオ体操をした
あたりに民家はなく一軒宿
自炊の宿である ※2
玄関を入ると昔の手回し電話があった

お風呂と池
湯は繋温泉と同じ硫黄のにおいがした
ぬるい湯でお風呂は電気で沸かす
お風呂の裏側に自炊用の台所があった
お風呂の水は池に流れる
鯉が泳いでいた

お風呂の前庭は花壇
撫子 オニユリ グラジオラス
フウチョウソウが咲いていた

池と錦鯉
池の端は蓮で被われていた
錦鯉がいた
池の向こう側に雪洞が見える
池を一周する狭い道があり
草を掻き分けて遊んだ

松林と橋
宿の2階の廊下から見た松林
松林の向こうは雫石川
その向こうは繋温泉
夏の夕刻 松林でヒグラシが独唱する
川向こうからもヒグラシの鳴き声がする
芝生の庭園には水銀灯
一輪 オニユリがあった 

尾入荘全景
庭園から見る宿の全景
繋温泉から尾入荘の赤い屋根が見えた
2階の廊下から朴の木の葉が
すぐ近くに見えた
お風呂の外側に誘蛾灯があり
夜になると青い灯が点る

ブランコ
松林の奥に
雫石川に添ってブランコがあった
川辺に白い雪洞 ぼんぼり がある

推定位置
※3
国土地理院 25000分の1
地形図 小岩井温泉から



尾入の位置は流れがあるところ
上流には尾入野湿原植物園がある

繋橋は私の推定位置

川幅が最も狭いところにあるはず
また繋側の山ははげていた

現在の風景
この新城橋の下流
小川が雫石川に合流する位置に
尾入荘があった

繋橋の向こう側から70過ぎた祖母の手を握り、尾入荘の滝を登って着いた思い出がある

※1 尾入荘に行く季節、7月下旬から8月上旬には 小川のほとりに葉の無い黄色い花が咲いていた。茎の先が黄色い花で
   雫石出身のおばは「かっこう花」と呼んでいた。だが、かっこうという植物はない。かっこうの鳴く頃に咲く花は
   それぞれ 地方ごとに かっこう と呼んでいたそうだ。インターネットで探すと 花の色と形からニッコウキスゲのようだ。
   台湾で24年10月下旬に ニッコウキスゲのスープを飲んできた。乾燥した料理素材としても売られていた。
※2 尾入荘は、おじが東北電力に勤めていたので、おじのお嫁さんと私たちの祖母、兄弟4人で毎年夏に滞在した。
   食事付の宿ではなく、自炊が基本の宿であった。
   お風呂場の陰、玄関右側が広い台所であり、電気洗濯機(ローラーで洗濯物を絞る方式 東芝製だと記憶している)があった。
   大きな甕にいつも冷たい水が流れていて、トマトを冷やしていた。燃料はガスだったと思う。丸い大きなガスコンロがあった。
   近くに商店は無い。繋橋を渡ったところに商店が1軒あり、豆腐を買ったことを覚えている。
   おかずは近くの農家に分けてもらう茄子やきゅうり、持参する缶詰類であり、魚肉ソーセージがご馳走だった。
   私の魚肉ソーセージ好きは尾入滞在のせいである。雫石出身のおばが、尾入の農家からお米を分けてもらったと姉は記憶している。
   盛岡からは繋温泉行きのバスで行く。バスがない時間帯は小岩井駅から歩いたと姉が言っていた。すごく遠い思い出が姉たちにはある。
   地図で見ると小岩井駅から尾入までは4kmもない。
   遠い商店に豆腐を買いに行くため、私は昭和42年夏、母に内緒で自転車で自宅を出発した。母が心配していたが、当時は車が少なく
   快適な距離だった。
※3 昭和43年春に高校を卒業後、長い間盛岡市を離れていた。盛岡市の実家には年に数回帰っていた。
   「御所ダムができて 尾入は沈んだ」と聞いたままだった。実際に御所湖のあたりは何十回も通っている。
   繋温泉にも行っている。尾入の場所が気になっていた。
   新潟から盛岡市に引越しするとき、このルートを通り、日曜日の早朝に繋温泉朝市に立ち寄った。
   出店している年配の人に「尾入温泉はどのあたりですか?」と聞いたら「電力の尾入荘だな。あのあたりだ、今は湿原植物園になっている」と
   教えてくれた。その足で尾入野湿原植物園に寄った。懐かしい川があった。尾入の奥に湿原植物があった記憶は無い。
   道から離れた場所に立ち入る勇気はなかった。今でも無い。長い爬虫類がいた。
   それらしい松林が遠くの高い位置に見えた。しかし尾入荘は繋から帰る途中、橋のたもとから雫石川に下りて、水流が少ない流れのなかを
   靴下を脱いで簡単に渡ることができた。そして尾入荘の滝(花巻市釜淵の滝のミニ版)を落差せいぜい3メーターぐらいを斜めに歩いて
   「松林と橋」にある橋のところから直接庭に出ることができた。