おわりに 瑞穂の国 日本

 日本の美称で「よく実っている穂」という意味である。私は「豊かな土地、四季の移り変わりがある国、山紫水明、風光明媚な国」というイメージを持つ。
 今わが国のお米が余っている。平成5年は大凶作でお米が足りなくなったことは記憶に新しい。わが国の食料自給率は40%台である。残りの60%は海外からの輸入に頼っている。
 「てんぷらそば」で簡単な計算をしてみよう。そばはいうまでもなくわが国の代表的食べ物であると思われている。乾麺の材料は小麦粉が半分以上ということを書いた。JASマークがある乾そばは30%以上のそば粉含有率が必要である。売っている乾そばにJASマーク付きを探すのは難しい。市販品の大部分は30%以下だろう。
 JASマーク付きで30%と仮定する。30%がそば粉であり、そば粉の8割が輸入品である。国産そば粉の割合は6%となる。てんぷら油は輸入品から採取する菜種油が多い。国産品もあると思うが地方で細々とやっている「特選素材」で、家庭用には無視していい。
 てんぷらは輸入のブラックタイガーとすると満足な国産品はねぎぐらいである。ねぎだけが国産品と書くところだったが、ねぎの輸入量が急速に増えている。産出国は中国である。
 七味唐辛子ぐらいが国産品というほうが早いかもしれない。家庭用としての、日本の伝統食である日本そばは大部分が輸入食品であることを分かっていただきたい。

 そば専門店では国産(季節により南半球のそばも使う)のそばを7割から8割使う。俗に言う二八そばである。つなぎがないと食感がプツプツと切れる感じがする。スルスルとすするには難しい。平成5年ごろのお米の需要量は 1000万トンであった。現在(平成12年)は900万tを割っている。瑞穂の国が食料面から崩壊し始めている。
 今、我々の周りには食べるものがいっぱいある。幸いにして飢えた経験はない。夕食は中華料理、昼はアメリカの軽食、朝は輸入小麦粉で作ったパン。明日はイタリアン、フレンチなど。
 わが国の農業生産は需要が減退して最大のピンチを迎えている。あなたがたは一向に困らない。生活費が安くついてその分を携帯電話代に回せる。
 あなたの子供たちが、あなたの孫たちが今のように世界中から食べ物を輸入して食べていくことができるのだろうか。世界の人口は東南アジアを中心にして増加している。出生率が低下しているのはわが国のような最先進国だけであり、食料需要の増加に食料生産がいずれ追いつかなくなることは自明の理である。

 世界には飢えている人々の方が多い。
 このままお米の需要が減れば田んぼがなくなり、生産に従事する人が少なくなる。「輸入すればいい」…輸出できる国があればそれでいいが食料輸出国は輸入国に変わりつつある。
 国産の食品を食べてほしい。日本のお米をもっと、もっと食べてほしい。 国産食料が少なくなっても政府は困らない。最も困るのは国民なのである。
 国産の農業と漁業を「食べる人」が応援してほしい。このままでは国産食料品がなくなる。

 私は母から「お米を大切に。作る人の苦労が八十八回入っているから米という字になるんだよ」と教えられてきた。おおよそ50年前、戦争直後のころの教育方針である。半世紀たった今、この教育方針は誤りである。
「お米はたくさん無駄にして、もっともっとお米を作ってもらおう」ということを提案したい。
 あまった米は以前「食糧管理法」で国家予算で保管していた。一年前の米は古米、もう一年前は古古米、それぐらいになると商品価値がなくなる。「米が古い」と文句を言う。
 米が自由化になった今、商品価値を無くさないために、保管費用を軽減するために生産量を減らさなければならない。休耕田として生産を放棄する。一旦休耕した田を水田に戻すことはできない。水田は「連作障害」が起きない弥生時代から続いている食糧生産基地である。
 お米の値段が安い。1000万t生産し消費者が100万t無駄に捨てても1割アップするだけである。 
 お米がなくなった平成5年当時の標準価格米(銘柄米ではない配合が不明の安い米)は4100円ぐらいだった。コシヒカリやササニシキの銘柄米は約6千円だった。
 平成12年のスーパーマーケットで見るお米の値段は銘柄米で3500円前後である。

 1割無駄にしたところで安い標準価格米の値段程度で銘柄米をたべることができる。

 もっとお米を無駄にして、たくさんの稲を育ててもらおう。